人口減少社会を迎え、人口戦略会議は地域の消滅といい、消滅しないという議論があります。地域政策においては、集落は撤退か、むらおさめか、集落維持かの議論が行われています。総務省、農水省、国土交通省等は、研究者の意見を踏まえ、地域政策として制度化しています。私の意見は、耕作放棄地の管理は牛に任せろです。みなさまはどの意見に賛同できますか。ご意見をお待ちします。
1.積極的な撤退 林直樹准教授(金沢大学)
撤退の農村計画の中で、財政の悪化にともなって、最近、「過疎集落の住民は問答無用で都市に移転させるべき」といった声を聞くようになった。財政の悪化は事実としても、このような乱暴な撤退・消滅案には断固反対である。一方で、従来型の「すべての過疎集落を維持すべき」にも賛同できない。発想の原点はまったく違うが、このような考え方は、大多数の過疎集落に「何もせず、このまま消滅させるべき」と同じような結果をもたらす可能性が高い。ではその中間はないのか。「未来に向けての選択的な撤退」の道はないのか。過疎集落からはじまる戦略的な構築と撤退のなかで、この先、都市から農村への移住が大幅に増加することは考えにくく、すべての過疎集落の人口を長期にわたって維持することは難しい。財政が苦しい時代にあっては、各種の支援もあまり期待できない。このような状況を前提とした新しい戦略が求められる。また、土地利用に関して、土地への「次善策」も必要である。森林に誘導するか、放牧などの粗放的な管理に切り替えることを考えることが必要である。
林直樹,2010年,撤退の農村計画,学芸出版,p.78
林直樹,2011年,過疎集落からはじまる戦略的な構築と撤退,農村計画学会誌 Vol.29,No.4,pp.418-421
田畑の管理の切り替え
田畑の管理の大胆な切り替えは、コンパクトシティにはない「積極的な撤退」の大きな特徴である。「積極的な撤退」では、従来型の農林業を継続するところを絞って、人手やお金を集中する。そして、それ以外については、原則として、「管理の粗放化」か「自然に戻す」のどちらかを選ぶ。①人手やお金の集中により、田畑として長期的維持できるものは、田畑として利用する。②田畑として維持できない場合は、粗放などに切り替えて管理を粗放化する。③管理の粗放化もできない場合は、土砂災害などに配慮しながら森林に戻す。
林直樹,2010年,撤退の農村計画,学芸出版,p.134
林直樹先生(右)
2.むらおさめ 作野広和教授(島根大学)
中山間地域における集落は今後も人口減少や高齢化が進展し、一部集落は消滅するという危機的状況は避けられない。集落は消滅に向け、集落衰退期と集落限界期と集落消滅期の3つに区分される。集落限界期と集落消滅期においては、集落の再生を意図した活性化策を行っても効果はない。むしろ福祉的ケアが必要である。集落住民が最後まで幸せな居住を保証し、人間らしく生きてゆくための手段を構築すべきだ。集落住民の「尊厳ある暮らし」を保証する考えが必要である。集落を「看取る」行為を行うとともに、集落の存続を記録として後世に伝える「むらおさめ」を行うべきである。消滅してゆく運命にある集落にも光を当てるとともに「秩序ある撤退」のための検討が必要である。
作野広和,2006年,中山間地域における地域問題と集落の対応,経済地理学年報第52巻,pp.264-282
作野先生の講演会場にて(鳥取県日野町)
尊厳ある縮退 石塚裕子講師(大阪大学)
尊厳ある縮退を阻害しているものとして次の3つを提示する。まず1つめは、作野(2006)がいうとおり、これまでの過疎地対策の大半は集落の再生を目指した「むらおこし」型であり、常に発展を目指してきたことである。2つめは、居住人口をはじめ交流人口、関係人口を含めて、人口という数値に呪縛され、一人ひとりの生活や活動の質などが評価されていないことである。最後の3つめは「積極的な撤退」や「むらおさめ」も視野に入れて、行政が提供するパターナリズムな施策に誘導されることなく、50年、100年先を見据えて市民が熟議する場が十分でないことである
注釈)パターナリズムとは、強い立場にある者が弱い立場の者の意志に反して、弱い立場の者の利益になるという理由から、その行動に介入したり、干渉したりすることである。 日本語では家父長主義、父権主義などと訳される。
石塚裕子, 2020年,地域内過疎地から考える「尊厳ある縮退」:兵庫県上郡町赤松地区かを事例に,災害と共生,4(1)P.33-P48
3.農村たたみ反対 小田切徳美教授(明治大学)
「選択と集中」による再生を求められていることが問題である。つまり、地方の一部を選択し、集中的に支援することで「農村たたみ」が行われることに対し危惧する。欧州での「コンパクト」や「縮退」(シュリンケージ)の議論は、社会全体としての「脱成長」や「成熟社会化」とセットで議論されているが、日本においては、さらなる成長を目的とし、財政負担の軽減や効率化を目的とする議論であり、誤用であるのではないか。
小田切徳美,2015年,農村政策の展開と到達点, 食農資源経済論集66巻1号,p.1
小田切先生と全国町村会館にて(東京都千代田区)
4.低自給率の日本が「有事」に飢えないための備え 小野寺五典元防衛大臣
食料自給率の低い日本が「有事」に飢えないための備えができているのか。大豆や小麦などは安価な輸入品との競争が激しく、国の支援なしに採算を取るのは難しいのが現実である。市場原理に反しても、国が農家を保護する意義とは、つねに弱い立場にある農業が市場原理で衰退すれば、食料がなくなったときに国民は飢えてしまうからである。実際、ウクライナ危機で食料問題に直面する国もある中、日本はそこまで困っていない。スーパーにはさまざまな輸入食品が並んでいるが、海外からしっかり輸入できるのは、主食もそれ以外も国産品があるからだ。だからこそ、輸入の際に「安全性が低いので買わない」「こんなに高ければ買わない」と交渉できる。食べるための安全保障、保険として国が支援することを理解してほしい。海上封鎖されて輸入が途絶するなどの本当の有事となれば、国産の食料で国民を養えるのではないか。日本の昔の食生活に戻せば、十分やっていけるだろう。入ってこない小麦や大豆の代わりに、コメを食べる。野菜は国産で十分まかなえる。畜産は海外の餌に頼っているが、海には魚というタンパク源が豊富にある。ただ、もし今の食生活を維持したいというのなら、輸入に頼っている食料を少しでも国産に切り替えていく必要がある。筆頭が小麦、大豆、エサ用のトウモロコシだ。
東洋経済オンライン 低自給率の日本が「有事」に飢えないための備えhttps://toyokeizai.net/articles/-/613694
食料自給率の向上へ農政の転換を(日経新聞)
ウクライナ危機をきっかけに、食料を輸入に依存する日本の危うさが浮き彫りになった。農林水産省はこれを受け、食料・農業・農村基本法の改正を検討し始めた。農政の目指すべき方向を示す基本法は1999年に制定された。政府が食料自給率の目標を定めることや、自然環境の保全につながる農業の多面的機能を大切にすることなどを定めている。壁に当たっているのが自給率の向上だ。農水省は自給率を高める計画をつくり続けてきた。だが現実は4割弱で低迷しており、上向く気配はいっこうにない。主要国では異例の低水準だ。小麦や大豆、飼料用トウモロコシなど食生活に不可欠な穀物の大半を輸入に頼る状態を改善しなかったことが一因だ。そこにウクライナ危機による価格高騰が追い打ちをかけ、家計や畜産業を圧迫している。今後も同様のことが起きかねず、量まで確保できなくなれば国の存立を脅かす。
日経新聞2023年1月9日
小野寺五典元防衛大臣と第12回全国和牛能力共進会鹿児島大会会場にて(鹿児島県霧島市)
5.都市一極集中こそ撤退 堀田新五郎副学長(奈良県立大学)
持続可能な未来のために、資本主義から、市場原理から、地球環境破壊から、都市一極集中からの撤退。人々が豊かで幸福に暮らせるためにためにどういう制度を設計すべきか。知性がいま取り組むべき隠れた課題、それは次のような表れていないか。「失われた10年は、20年になり、30年になった。いったいいつまで失われる予定?」「東京一極集中の弊害は誰もが認識し、全然改善されていかない。どうして?」「この20年、日本中が地域振興や地方創生に汗をかいてきた。でも地域は衰退を続ける。大事なのはもっと汗だくか?」「いま必要なのは持続や先送りの探究ではなく、困難であれ、『撤退』の探究ではないのか?」
撤退は知性の証であるー撤退学の試み,撤退論,晶文社,p26
6.衰退の時間に耐えよ 平田オリザ氏(劇作家)
日本はもう、成長社会に戻ることはありません。世界の中心で輝くこともありません。いや、そんなことは過去にもなかったし、だいいち、もはや、いかなる国も、世界の中心になどなってはならない。私たちはこれから、「成熟」と呼べば聞こえはいいけれど、成長の止まった、長く緩やかな衰退の時間に耐えなければなりません。その痛みに耐えきれずに、これまで多くの国が、金融・投機という麻薬に手を出し、その結果、様々な形のバブルの崩壊を繰り返してきました。この過ちも、もう繰り返してはならない。
平田オリザ氏(左)
三つの寂しさと向き合う(平田オリザ氏)https://politas.jp/features/8/article/446
7.日本は移民や移住者を受け入れれば成長は維持できるが、集落はそれができないので国土の大部分が自然に帰ることだってあり得る ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ(BBC東京特派員)
日本はもう何十年も、経済の低迷に苦しんできた。変化に対する根強い抵抗と、過去へのかたくなな執着が、経済の前進を阻んできた。そして今や、人口の少子高齢化が進んでいる。日本は、行き詰まっている。バブルは1991年にはじけた。東京の市場では株価と不動産価格が暴落し、いまだに回復していない。実質賃金はもう30年間、上がっていない。韓国や台湾の人たちの収入はすでに日本に追いつき、追い越している。それでも、日本は変わりそうにない。原因の一部は、権力のレバーを誰が握るのか決める、硬直化した仕組みにある。
外部という要因
「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。
年寄りがまだ権力を握っている
この国で10年過ごして、私は日本のあり方に慣れたし、日本がそうそう変わらないだろうという事実も受け入れるようになった。確かに、私は日本の未来を心配している。そして日本の未来は、私たち全員にとって教訓となるだろう。人工知能(AI)の時代には、労働者の数が減っても技術革新は推進できる。高齢化の進む日本の農家も、AIロボットが代役を務めるようになるかもしれない。国土の大部分が自然に帰ることだってあり得る。日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。私の頭はそう言っている。しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。
BBCNEWS JAPAN,ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員(2023年1月22日)日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返るhttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64357046
8.社会的共通資本 宇沢弘文(岩波新書、2000年)
資本主義のもとでは、農村の規模は年々縮小せざるを得ず、農村は事実上、消滅する結果になりかねない。また、このような状況を回避するためには、農村の規模をある一定の、社会的な観点から望ましい水準に安定的に維持することである。農村の最適規模という概念は、市場的効率基準にもとづいて事後的に決まってくるものではなく、社会的合意にもとづいて事前的に決められるべき性格のものである。
宇沢弘文,岩波新書,p63
9.ビジョンから未来をつくる―「風の谷」という希望 安宅和人
至るところが限界集落となって古くから人が住んできた集落が捨てられつつある。この1~2世紀、世界のどの国も人口は爆増してきたのに、だ。これは世界中のあらゆる場所で人間が都市に向かっているということだが、このままでいいのか。このままでは映画『ブレードランナー』のように人間は都市にしか住めなくなり、郊外はすべて捨てられてしまう。そんな未来を生み出すために僕らは頑張ってきたのか。これが僕らが次の世代に残すべき未来なのか。
シン・ニホン,安宅和人,ニューズピック,p388
10. 農地の維持は牛に任せろ 斉藤俊幸
自治体戦略2040構想 総務省2018年
集落機能の維持や耕地・山林の管理がより困難になるため、集落移転を含め、地域に必要な生活サービス機能を維持する選択肢の提示と将来像の合意形成が必要である。
人口減少社会における長期的な土地利用の在り方の検討会の「中間とりまとめ」 農水省2021年
我が国の農地は、昭和36年の609 万ヘクタールをピークとし、都市化の進展等に応じて徐々減少きており、今後は、高齢化や労働力不足により、農地としての維持管理が困難となり、こうした多面的機能の発揮に支障を及ぼすことが懸念されている。こうした中で、将来にわたる食料の安定供給の確保や、災害に強い国土の形成などを考えると、生産基盤である農地について、環境への負荷を軽減し、土壌の健全性を高めながら持続的に確保していくことが重要である。しかながら、中山間地域を中心として、農地の集積・集約化、新規就農軽労化のためスマート農業の 普及等あらゆる 政策努力を払ってもなお、農地とし維持するこが困難、今後増加することが懸念される。
国土の管理構想 国土交通省2021年
中山間地域においては、空地、空家、荒廃農地や手入れが不十分な森林が今後さらに増加することが考えられ、人口減少、高齢化が進んだ結果、無住化する集落が増えていくことが予想されている。集落が無住化した場合、これまで地域住民の手で利用・管理されてきた、道路、農業用排水路、農地、森林等が集落空間全体として管理不全の状態に陥る可能性がある。所有者の責任として個人所有の土地の管理が続いたとしても、集落で共同管理を行っていた土地は管理が難しくなる可能性が高く、空間として放置が進み、周辺地域や都市地域へ大きな外部不経済を与える可能性がある。これらの課題が発生する前に、地域において地域づくりの方向性や土地の利用・管理について検討するなど、国土管理が維持されるよう対策を進めることが必要である。国土管理は地域住民に過度なコスト負担がかかる可能性があるが、国土が維持されないと住民以外にとっても大きな悪影響を与える場合や、国土管理の維持が住民以外にとっても利益をもたらすものである場合もあるため、管理行為にかかるコストの適切な分担についても検討を進める必要がある。また、無数の集落の無住化が発生した場合、地域づくりの観点からどのように考えるのか、外部不経済の抑制のために必要な管理行為を誰が担っていくのか、空間的な土地利用の在り方の検討が必要となってくる。このような集落の無住化まで至らなかったとしても、各集落で利用・管理が難しくなった農地が荒廃し、森林の様相を呈する状況になるなど、農地に復元することが難しい土地も増えてきている。これらの農地については継続して利用することができないと見込まれる場合は非農地とされることとなるが、これらの土地の扱いについてどの分野においても政策として取り扱われていない状況にあり、また、非農地化された土地の中には悪影響を引き起こす土地も存在している。
地域活性学に関するご意見をお待ちします。
Writer:斉藤俊幸