【追悼】地域活性学会初代会長の清成忠男氏がご逝去

出典:法政大学ホームページ

ムラおこし、ベンチャービジネス、地域活性学会

地域活性学会初代会長の清成忠男氏がご逝去されました。元法政大総長であり、中小企業論、ベンチャー企業論の研究者として多くの実績を残されました。法政大学総長を務めた後は事業構想大学院大学長などを歴任されました。地域活性学会の立ち上げや初代会長として中心的役割を果たしていただきました。「ベンチャービジネス」や「ムラおこし」という言葉は清成元会長が作った造語です。主な著書に「ベンチャー・ビジネス」などがあります。2010年には瑞宝大綬章を受けられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

御園愼一郎会長

清成忠男先生がご逝去されたとの報を受けて深い悲しみの思いがつのっています。先生は我々が活動している地域活性学会のみならずわが国の今日の地域活性化の育ての親と言って良いでしょう。 2003年10月24日、内閣官房に地域再生本部が設立されました。当時の政策用語に「地域再生」はなく、「地域活性化」という言葉もまだ多くの人が知らない時代でした。そんな中で船出した地域再生でしたが、これを支える地域活性学会が清成先生を中心メンバーとして設立されたのです。政策を立案した立場からもとても心強く思ったことを思いだしています。その後直接ご指導いただいくこととなった清成会長からはわが国社会のあり方について、また学会運営に関しても明快なご指摘をたくさんいただきました。先生は会長を大宮登先生にバトンタッチされてからも研究大会にも顔を見せていただき夜の交流会でも気さくに会員と懇談の輪を作っていただいていました。そんな会話の中で沖縄にも深い関係をお持ちの清成先生に研究大会を沖縄でと申し上げたところ「いいじゃないか」と言っていただいたことを覚えています。沖縄での研究大会、まだ実現していませんが開催される時にはきっと先生のことを思い出すでしょう。清成先生の思い出は尽きませんが、残された私たちは先生が基礎を作っていただいたこの地域活性学会をより充実していくことで清成先生のご恩に報いなければと思うとともに改めて清成忠男先生のご冥福を心からお祈り申し上げる次第です。 先生、ありがとうございました。

清成忠男先生との思い出


《法政大学清成ゼミ出身》鵜飼宏成副会長、第16回研究大会実行委員長(名古屋市立大学大学院教授)

この度、清成忠男先生のご逝去の報に接し、驚き、そして、いまだに信じられません。先生と初めてお会いしたのが1984年。法政大学経営学部の清成ゼミへの入ゼミ面接でした。愛知県の実家の書棚に清成先生の著書を見つけ、少しでも早く、先生のもとで学びたいとの気持ちで飛び込みました。幸い、私はインターンとして1年早く学びの機会を得、大学3年間と博士前期課程を清成ゼミで学びました。清成ゼミの特色は、教えない教育といえるものでした。先生は多くを語らず、最新の論考が詰まったテキスト、成果を上げている実践を題材に、中小企業、ベンチャービジネス、アントレプレナーシップ、地域主義を、理論と現場の往還し理解を深めていきました。そこは、自ら問う、関心を広め調べつつ深める、現場を訪ねて見て、対話し、背景を知って、素直に自分の言葉にする連続でした。

ある時、清成先生が、「私は学者ではないが研究者だ」と私たちゼミ生に語られたことがありました。また、別の機会に、ある先生の論考を例に「もっと素直に状況を見据え、具体的に紹介する」方が望ましい。これは既存の理論を当てはめて説明するのではなく、新しい動きであればあるほど、出来事を構造的に、体系的に解題することの意義を唱えられたのだと理解しています。「見る目」を養う。そこに至る過程に、フィールドリサーチは欠かせず、清成先生は私たちを多様な現場に導いてくださいました。

フィールドの多さは、各地に先生を待っている人がいることを意味しています。住む人が住む喜びを!を基本理念に市民主体のまちづくりを担われていた平塚市の飯尾さん。職員主体で地元の産業振興ビジョンをつくり実行に移していた沼津市の匂坂さん、小池さん。水の経絡図を作成して山と海のつながりを心のつながりへと導こうとされていた水俣市の吉本さん。埼玉県の恩田さん、香取さん、甲府市の神沢さん、仙台市の佐藤さん。地域資源の発掘と磨くことの価値、そして、情報と情報をつなげ編集する中から新しい情報を生み出すプロデューサーであった元・TVプロデューサーの鈴木先生。これらの方々が、各地で待ち構えていて、清成先生が参加する車座懇談会が夜を徹して行われることも度々で、私たちゼミ生はそれを取り巻き、時には座に加わり意見交換しながら、見る目を養っていきました。そして、私たちが大学を卒業するころには、各地の皆さんが連携して清成先生も参加する「自治体イベント研究会」、「地域デザイン研究会」を組織して、奮闘する方々を応援する活動に発展していきました。

私は、縁あって、企業で働いたのちに大学で教鞭をとる機会に恵まれています。不肖の弟子でしたが、清成先生から受けた教えを、次世代の人材育成につなげていくことが使命であると考え、日々もがいております。清成先生。ご指導賜りありがとうございました。許されるならば、どうか今後も天国で、私どもをお守りください。でも、もうそろそろ、安らかに眠らせろよ、と言われそうですね。歯に衣着せぬ言葉で・・・。合掌。

清成忠男先生 ありがとうございました


《法政大学清成ゼミ出身》今瀬政司、第16回研究大会実行委員(愛知東邦大学経営学部教授)

大学ゼミの恩師、人生の恩師、清成忠男先生。清成先生の門下生として、長い間、ご教授くださいまして、誠にありがとうございました。心より深く御礼を申し上げます。法政大学の清成ゼミ授業では、地域主義、ベンチャービジネス、大学革新など、当時では革新的な分野の学びの連続で、地域の現場にも幾度も連れて行っていただきました。まだ日が当たらなくとも可能性を秘めた一人一人の内発的自立、一地域一地域の内発的振興を大切にすることを教えて頂きました。知識とともに、世の中のモノの見方や考え方、生き方の根源的なことを教えて頂きました。大学卒業後も、研究の仕事に際して、地域づくりの実践活動に際して、教育の仕事に際して、振り返ってみると、その後の人生の節目、進むべき道となる貴重な教えをたくさん頂きました。大学専任教員の仕事を始めたばかりの頃、悩みを抱えて相談した際、「君は将来いい先生になるよ」、とおっしゃって頂きました。そのお言葉の理由はお聞きできないままでしたが、お言葉を胸にして、これからも一人一人の若者たちの未来に真正面から向き合い続けたいと思っています。清成先生、本当にありがとうございました。


大宮登第2代会長(高崎経済大学名誉教授)

地域活性学会の初代会長清成先生がご逝去されました。本学会は清成先生の存在があって生まれ、そして活動を開始し、大きな成果を生み出し、学会の会員も順調に増えました。清成先生が基礎作りのために、法政大学に事務局を置き、明確な指針を出していただいたからこそ、地域活性のための研究と実践が深められてきました。私は、学会設立の時から副会長として、ご一緒に活動し、多くのことを教えていただき、2代目会長として、先生の方針を実現するために努力しました。お陰様で、地域活性化、地域政策、公共政策の研究を深めている研究者の皆さん、日々現場で地域活性に関わる自治体職員の皆さん、そして地域の経済社会を支え続けている民間実践者の皆さんが連携協力し、地域活性に関する研究と実践を深め、推進することができました。清成先生の志を引き継ぎ、本学会がますます充実することを期待し、清成先生のご冥福を衷心よりお祈りいたします。

中嶋聞多第3代会長(信州大学特任教授)

清成忠男先生ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみを申し上げます。先生はいつも、みずからのベンチャー・スピリッツをもって、われわれを教え導いてくださいました。地域活性学会が今日あるのも先生のおかげであると思います。私自身は、法政大学と事業構想大学院大学でも先生とご一緒させていただきました。身近に接し、いつも敬服しておりましたのは、その智識量と記憶力ですが、とくにたくさんの人の名前をフルネームでおぼえていらっしゃったことには驚嘆しました。あれだけの人脈がつくられたのは、あるいはそのことがあったからこそかもしれません。法政大学の頃、沖縄への出張に同行したことがありました。当時、沖縄県副知事であった尚弘子さんをはじめ、会う人は皆、満面に笑(えみ)をたたえて、われわれを歓迎してくださいました。沖縄の方はみな、先生がほんとうにお好きだったのだと思います。もちろん私自身もまた、そのお人柄に魅了されたひとりでした。地域活性学会の代表を引き継いだ者の一人として、こころからご冥福をお祈りいたします。


久保田章市副会長(島根県浜田市長)

清成忠男先生のご逝去の報に接し、謹んでご冥福をお祈りいたします。清成先生は、中小企業研究の大家であります。小生も中小企業研究者として、中小企業論やベンチャービジネス論などの先生のご著書から多くのことを学ばせていただきました。また、先生が立ち上げられた日本ベンチャー学会にも入会させていただきました。清成先生は、2008年11月に地域活性学会を立ち上げられました。設立総会が法政大学の講堂で行われましたが、当時、私は法政大学大学院教授をしており、「地域活性」という言葉に惹かれ、設立総会に参加させていただきました。設立趣旨に共感し、すぐに入会申し込みをさせていただき、今日まで、地域活性学会の会員をさせていただいております。清成先生は2014年4月に事業構想大学院大学学長にご就任されました。その時には、私は故郷の市長に転じておりましたが、青山の同大学のキャンパスに何度かお伺いし、お目にかかりました。いつも温かく迎えていただき、近況をお尋ねいただきました。清成先生には、本当に多くのことを学び、また、ご指導していただきました。これまでのご指導に感謝を申し上げ、衷心よりご冥福をお祈りいたします。

那須清吾副会長(高知工科大学教授)

尊敬する清成先生のご逝去にあたり、僭越ですが寄稿させて頂きます。 清成先生とは地域活性学会設立時に初めてお話しする機会を得ましたが、学会設立時にまだ大学に移って間もない私を設立時理事にご推薦頂きました。以来、恐縮にもその後様々なご示唆を頂けたことは私の誉れに存じます。 清成先生は経営学の分野に限らず非常に大きな存在であり、特に地域活性学会の様な意義深い学会の設立から成長に至る過程での学術、精神、組織の大きな柱として支えて頂きました。 清成先生のお陰で、経営系の学会の中でも短期間の内に規模も含めて大きな存在になったと感謝申し上げております。 先生のご遺志を引き継いて、増々の繁栄を実現することが清成先生に対する恩返しと考えております。

保井俊之副会長(叡啓大学教授)

清成忠男先生のご逝去の報に接し、深い悲しみに包まれております。先生には、地域活性学会での活動を通じて、多くの貴重な教えを賜りました。先生は地域活性化を、地域の力を結集し、経済的に自立し市民が快適に住める社会を目指すことと定義され、そのために地域住民自らが産業を支える必要性を強調されました。地域活性学会の初代会長として、多方面からの学会参加を促し、多くの実務家や大学教職員、学生が先生の励ましによって学会に参加し、地域活性化のリーダーとして活動するようになりました。清成先生は、地域の問題解決に向けた実践的なアプローチを推進し、大学の地域シンクタンクとしての役割を強調されました。地域密着型の教育を提唱し、地域に根ざした問題解決を図るための人財育成の重要性を訴えられました。先生は「人材育成に重要なのは、なにより動機づけであり、それには大学の教員が地域を理解し、この地域には何が必要かを分かっていて、『とりあえずやってみなさい』と背中を押してあげること」と述べられました。また、「実際に手足を使って動いてみる中で地域の問題、さらには問題の構造が分かってくる」とも語られました。 さらに、先生は地域にイノベーションを起こす人財について、「資質的には、アイデアを豊富に持っていて好奇心が強い、また、明るく楽観的な人」であり、「『できない理由』を並べるのではなく、『実行するためのマイナス条件を潰していける』人」と描写されました。そして、地域外からその地域に関わる人々の地域活性化への意義を強調され、地元の方が気づきにくい「地域活性の資源」を外部の目で見出すこと、そして「地域の人がいったん外に出てUターンする」ことを評価されました。これは、今日のUIJターン人財や関係人口の考え方を、はるか以前から見通しておられたものです。清成忠男先生が遺された言葉と行動は、今後も多くの人々に影響を与え続けることでしょう。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

山中憲行副会長(前橋工科大学教授)

清成忠男先生のご逝去に際し、謹んで哀悼の意を表します。今なお、多くの方々から清成先生のおかげで地域活性学会は誕生したと伺います。現在、本学会は会員数が1000人を超えるところまで成長しました。清成先生は本学会の会長時代に「政策を創造するリーダーや専門家の輩出が求められています」と述べられています。本学会は地域活性学体系構築を目指して政策を創造する研究者や実務家の集団になってきました。個人的には清成先生の理想像に近づいてきていると勝手ながら思っています。今後、本学会は日本のみならず世界に誇る学会になります。天国から本学会が発展する様子をご覧ください。心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

木村乃理事(関東学院大学教授)

清成忠男先生のご逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。さて、私自身は清成先生から直接ご指導いただいたわけではありませんが、実は私にとっても大恩人なのです。なぜなら、研究者と実務家とが専門分野の垣根を越えてともに学び合い社会に貢献しようとする「地域活性学会」は、コンサルタント、公務員、経営者、大学人などとフラフラしながら足元のおぼつかない私にとってはたいへん有難い「寄(やどりき)」のような場となっているからです。このご恩に報いるためにも、清成先生が遺してくださった地域活性学会をさらに発展させるべく、今後とも精進致したく存じます。心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

関幸子理事、関東支部長(法政大学監事)

清成忠夫元法政大学総長が7月に91歳でご逝去されました。心より哀悼の気持ちを捧げるとともに、仕事でも個人的にもずっと導いていただきましたので、清成総長との思い出を書かせていただきます。清成総長との出会いは、2000年に三鷹市が「SOHO CITY みたか構想」を掲げ、インターネットとパソコンで起業する人材を核に産業振興に動き出した時まで遡ります。1996年にセコムが「武蔵野三鷹ケーブルテレビ㈱」を設立し、三鷹全域に10メガの優先インターネットを敷設しインターネット事業を始めたことで、三鷹市は、当時もっとも最速であったインタネット回線を活用して、ITベンチャーを三鷹に誘致する戦略を始めます。それが「SOHO:small office home office」と言われる小さい専用オフィスを創り出す最初にきっかけとなります。今、田園都市国家構想で言われているサテライトオフィスの原型は三鷹市が作り抱いたものです。私は、市役所時代に産業政策を中心にこの「SOHO CITYみたか構想」のメイン担当者でありました。清成総長が特にベンチャー育成を推進していたこともあり、この時期より直接総長から指導を頂いてきました。その後順調に「三鷹産業プラザ」をはじめとして200室ものSOHOオフィスを整備し、2000年当、三鷹市は最もベンチャー企業集積で注目を集めました。清成総長からのお声を頂き、2000年から経済産業省が始めた「創業・ベンチャー国民フォーラム」の監事に就任し、その後10年、日本Venture Awardsの審査員をする等清成総長とは、日本のベンチャー育成の輪の中で大変にお世話になりました。母校が法政大学問こともあり、本当に可愛がって頂きました。

ベンチャー事業だけでなく、三鷹市は、市民参加のまちづくりをすすめる中で「教育・研究機関の地域への開放と、地域社会における知的ニーズを融合し、民学産公の協働による新しい形の地域の大学」の設立を目指し、2003年に発足した検討委員会の委員長にとして多くの大学をまとめていただき、2005年には、地域大学として「三鷹ネットワーク大学推進機構」が設立され、初代の理事長にご就任頂きました。清成総長の幅広い人脈を貸していただいたことで、多くの大学がご参加いただいています。感謝しかありません。

ありがとうございました


出典:大正大学 地域構想研究所