【能登半島地震】拡大正副会長会議・池田幸應北陸支部長の令和6年能登半島地震報告(2024年1月11日)

会長挨拶(まずは現状把握、何ができるか、学会は英知を出す場だ)

池田幸應支部長報告(金沢星稜大学名誉教授、日赤メンバー、日赤とともに被災地に入り活動)

決定事項

(1)募金活動の実施 (2)被災支援チームの設置

能登町職員灰谷貴光氏SNSを転載(2024年1月2日配信)

1日の地震発生直後に避難所開設
そこからずっと中学校にこもって運営
とにかく起こりまくる…
これでもか…これでもか…と…
あらゆることが…
避難者は最大700名を超えた…
どうしたらよいか…
正解なんかないから
とりあえずやってみると思うが…
なかなか踏み出せない
2日目夜中
開設直後から避難所内に救護所を開設してくださった
小木クリニック瀬島先生との話し合い
そこであった言葉
「この状態が1週間続くと数名が亡くなると思います」
東日本大震災を経験した瀬島先生の言葉だからこそ
重くて…ショック過ぎて言葉がでない…
でもある意味
覚悟することができた
とにかくやる
これしかないと
しかし電波がなく…何も情報がない…
だからこそ地域のみんなと考え
地域のリソースをフル活用して
そうしていくと
3日目にAMAT(全日本病院医療支援班)が避難所に
6日目に炊き出しの支援が入るようになった
どんどん地域に人が集まってくる
とてつもない力で
破壊されて絶望的な光景から出ていた涙が…
人と人とのつながりから
生まれる温かく熱い想いを感じて出る涙に変わった
感謝しかない
日常を取り戻すのはまだまだ先で長期戦になる
それもどうしたらよいかわからないことばかり…
だからこそ多様な人たちと共に創るが必要
ぜひお力添えいただけると嬉しいです
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きっとできる🦑🦑🦑
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写真は今朝の中学校から見えた朝焼け
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今晩はゆっくり休んでくださいと
言ってくださった滋賀県庁の増田さんに甘えて
発生後初めて家で寝ます…
たくさんいただいた
メッセージはまだ読めていません…ごめんなさい…

灰谷貴光氏撮影(2024年1月2日)

段ボールベッド設置_小木中学校避難所(2024年1月11日配信)

|段ボールベッド設置_小木中学校避難所|
14日から滋賀県・宮城県の職員皆さんと
夜遅くまでオペレーションをつくってきた
段ボールベッド設置や
体育館校舎の土足禁止など衛生管理対応
またまた机上では想定できないことが多く発生する中で
町/地域/中学校/医療・福祉チーム/避難者の皆さんと
連携して設置することができました
心から感謝です
来週からは学校再開があり
さら仕事のため運営メンバーが減るなど
またまたまたまた試練がやってきます…
まあできることしかできないし
100点なんかあり得ないし
避難者皆さんと対話しながら
よりよい選択肢を探って進めていきます
そして
皆さんの応援が何よりのエネルギーになります
引き続き応援していただけると嬉しいです
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きっとできる

車座の対話会@小木中学校避難所(2024年1月13日配信)

車座の対話会@小木中学校避難所
次から次へと起こる試練
運営メンバーではクリアできない…
どうする?
昨晩
滋賀県・宮城県職員とみんなで
いろいろ話し合って出たのが
避難者との対話会をやろう!となり
早速今晩から
だるまストーブの周りにイスを置いて
近くにいたおばちゃんに声を掛けて話し始める
3人とか5人とかでできればいいなと思っていたところ
だんだんと人が集まってきて20人超えに
仮設住宅はどうなんけ?
水道はいつ復旧できるがけ?
傾いた家はどうしたらいいが?
情報がもっと必要やがいね
わかったら教えてくだいま
など
どんどん声を出てきて
避難者皆さんのモヤモヤ感や不安感が伝わってきた
そこから滋賀県・宮城県職員さんたちが
ここに来て感じたことを話していくと
一体感が生まれて
これまであった避難者と運営の壁が
なくなったように感じた
もっと早く気がつけばと思ったけど
そこまで考える余裕がなかったか…
今晩できたのがよかった
これから継続してやっていきながら
ここにいるみんなで一つずつ創っていきたい
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印象に残ったのは
宮城県職員さんからあった
東日本大震災で
日本中から助けてもらって復興することができた
今回能登に行くとなったときに
その恩返しにいこうと思って来た
小木の皆さんも信じて前に進もうという言葉
本当に有難く感謝
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きっとできる