高知県庁
高知県「小さな集落活性化事業ハンドブック」~「ゼロ」からスタートする地域づくりのノウハウ~を拝見しました。小田切先生が『実は、このコーナー(専門家による「総評」)にまとめられた専門家によるコメントも、この事業にかかわり、私達が学んだことがまとめられている。それも小さくない成果であろう』とコメントの最後で書いてあります。このためその部分を抜き書きさせていただきます。実は4.基礎から学べる地域づくりのヒント集のQ&Aも示唆に富む方向性を出しています。お時間ございましたら高知県サイトよりご一読ください。
小田切 徳美 座長(明治大学農学部 教授)
小さな集落活性化事業の新しい性格 ~重層的伴走型支援~
今までも、高知県の中山間地域対策は、全国の取り組みのフロンティア(最前線)であった。その背景には地域が直面する厳しさがある。しかし、そうした状況にもかかわらず、地域の内発的な取り組みが多彩に生じているのが高知県中山間地域の特徴であり、その支援策は全国から注目されている。このハンドブックの対象である小さな集落活性化事業もまたフロンティアである。中心的な取り組みであった集落活動センターに加わっていない集落を対象とする事業である。そのため、高知県の中山間対策は、集落活動センター事業と小さな集落活性化事業の二つの大きな仕組みが揃い、より強力なものとなったと言える。もちろん、小さな集落活性化事業の結果、既存のセンターの構成集落になったり、あるいは新たなセンターが形成されたりすることもあり、両者は連続的である。しかし、小さな集落活性化事業は、全国各地の中山間地域対策の中でも、また高知県の他分野の事業と比較しても明確な特徴がある。それを「重層的伴走型支援」と表現したい。「伴走型支援」とは、ここでは「様々な環境変化に柔軟に対応するために、対象の内発力を高めることを主眼にして、活動プロセスのなかで常につながり続ける対応」と理解できる。この考え方は福祉からビジネスまでの幅広い部門で活用されている。小さな集落活性化事業では、集落活動の再生にこれを適応しており、各市町村で選任されるコーディネーターが重要な役割を発揮している。そのタイプは様々であり、地域の動きにともない活動を柔軟に変化させている実態もある。また、従来から「高知方式」と言われる地域支援企画員や県庁中山間地域対策課職員も分担して地域支援に加わっており、さらに私達、専門家会議のメンバー(6人)が地域を訪問し、定期的な会議の場でコーディネーター等と意見交換することも仕組み化されている。このように、対象集落をめぐり、まさに「重層的」な伴走体制が築かれている。この結果、本ハンドブックで見られるように、集落では小さなことから大きなことまで、着実な変化が生じている。それは、まさに本事業の成果であり、ハンドブックの前半ではそれが分かりやすくまとめられている。同時に、地域とコーディネーターが、事業中、切れ目なくつながったことによって、集落内の小さな変化とそのターニングポイントがしっかりと把握されたことも事業の特徴でもある。このハンドブックではそのような転換点、つまり、集落の内発性が強まった契機を、後半に「ヒント集」としてまとめている。そこには、「重層的伴走」によりはじめて見えてきたものも含まれている。そのため、「ヒント集」は地域づくり(集落再生)に取り組めない集落、あるいは活動途上で困難に直面する集落の生きたヒントとなるものであろう。中山間地域対策のフロンテイアとしての本事業は、このように対象集落のみでなく、多面的な成果をもたらしている。そして、実は、このコーナー(専門家による「総評」)にまとめられた専門家によるコメントも、この事業にかかわり、私達が学んだことがまとめられている。それも小さくない成果であろう。
平井 太郎 副座長(弘前大学大学院 地域社会研究科 教授)
高知に希望あり。暮らしの奥深さが生む共感の連鎖が地域の未来を照らし出す。
高知の山は深い。そして海は広い。そうした山に抱かれた里や海に向き合う町は、どこも人口減少に苦しみ、未来を展望しづらいと言われる。だが、このハンドブックに刻まれた1つ1つの地域の軌跡をご覧いただきたい。どれだけお年寄りばかりになり、山に呑み込まれようとも、希望の光が差している。それは、そこに暮らす人びとが、コーディネーターや県・市町村の職員とともに、自分たちの山の暮らし、海の暮らしに光を当て、地域内外の人びとの共感を得はじめているからだ。どの例でも、地域の当たり前の暮らしをコーディネーターが丹念に掘り起こし、チラシやネットを通じて、子どもたちや出身者などと共有しようとしている。格式ばった人口減少やインフラ維持といった問題を掲げるのではない。ふだんの、あるいは、忘れかけた、飲み語らう場から出発し、つねにそこに立ち戻っている。そうした場にこそ、年齢や性別、出身や国籍さえも超え、人は共感し集うからだ。そして自ずから、人口減少やインフラ維持といった課題に、それぞれに道筋をつけようとしている。共感の連鎖は始まったばかりだ。県や市町村の息の長い伴走が求められる。何より、このハンドブックを手に取ったみなさんも一歩、踏み出してほしい。その一歩、一歩が積み重なって、共感の輪は高知全体を包み込むことだろう。
嶋田 暁文 委員(九州大学大学院法学研究院 教授)
「自治の総量」を高める県の役割 ~小さな集落活性化事業の意義~
平成の大合併の頃からであろうか、「市町村中心主義」という考え方が強くなり、県の存在意義が定かでなくなってきた。しかし、多くの市町村は、人財・財源の不足に苦しんでおり、余力を有していない。こうした状況に鑑みるならば、今、求められるのは、市町村中心主義から脱却し、県がもっと積極的に補完機能を発揮することで、「県+市町村」で「自治の総量」を大きくしていく、という発想を持つことなのではないだろうか。ただし、他方で、補完機能の発揮は、現場を十分に踏まえない県が介入することで市町村による現場起点の自主的運営を阻害してしまう危険性をはらんでいる。それゆえ県に求められるのは、そうした危険性を回避しながら補完機能を十分に発揮することである。しかし、それはいかにして可能なのか。この難題への一つの回答が、小さな集落活性化事業であるように思う。この事業では、県職員が現場に出向き、地域の実情をつぶさに見ながら、寄り添う形で市町村を支援している。さらに、専門家集団からアドバイスを得る形で、県の市町村への適切な関わり方を担保するという注目すべき工夫が施されている。今後の県のあるべき方向性を具現化した事業と言えよう。
図司 直也 委員(法政大学現代福祉学部 教授)
日常の暮らしを前向きに刻んで、集落を支える力に。
集落の活動は、日常の暮らしや農業生産を支える上で、毎年粛々と繰り返され、基本的には「守り」の性格を帯びている。それも、地域住民の高齢化が進み、担い手が減る中で、集落の力は右肩下がりで、現状を維持しようとするだけでも、それなりのパワーを要する。この小さな集落活性化事業では、その「支えの力」をどのように生み出すのかが焦点となる。私が担当した津野町と四万十町では、コーディネーターがまずは現場に出向き、お茶飲みや行事に関わりながら、そこで出会った集落の顔ぶれや資源を、地域新聞の形で「見える化」し、各方面に届けてくれている。その行動に派手さはないものの、新聞の存在は、地域内外で話題に上り、住民が自らの日常を明るく振り返る機会を生んでいる。両地域では、集落行事の記録を残したり、活動に女性が加わったり、続ける資金を稼ぐ意識が生まれたり、とこれまでの活動にささやかな変化が実感されている。地域新聞が日常の「前向きな刻み」の積み重ねを体現し、集落活動を持続させる「支えの力」を生みつつある。これこそが、本事業の成果ではないだろうか。この先の展開を、コーディネーターの皆さんと引き続き見届けていきたい。
筒井 一伸 委員(鳥取大学地域学部 教授)
フレキシブルに“コミュニティ”の単位を探そう!
この「小さな集落活性化事業」には多くの特徴があるが,私が注目したのは実施地域の広がりの多様さである。この事業では「複数の集落を一つの地区として連携した取組も可能であり,集落ごとで取組みすることも可能」とあり,原則2集落以上必要としながらも横展開に向けては1集落単独でも実施可能とする。高知県がこれまで取り組んできた集落活動センターが旧小学校区単位のまとまりを基本とするのに対して,よりフレキシブルに実施地域を設定できるところは特徴的である。地域づくりを英語で「コミュニティディベロップメント community development」することがあるが,地域づくりとしての小さな集落活性化事業の基盤もコミュニティであることに間違いはない。しかし,そもそも集落=コミュニティではない。コミュニティcommunity の語源は,コミュニケーション communication の語源と同一でラテン語のcommunis「共同の,共有の(=英語の common)」と言われている。その意味でもコミュニケーションの有無がコミュニティを考える際の最も基本である。地域づくりに向けてコミュケーションが取れる地理的な範囲と協働可能な関係,すなわちコミュニティを確認する,再構築することがこの事業の真の目的かもしれない。
中塚 雅也 委員(神戸大学大学院農学研究科 教授)
コーディネーターと育つ集落。
小さな集落の活性化には,コーディネーターの存在が欠かせない。本事業においてコーディネーターの配置が設計されているのは,それ共通認識となっていることの証左である。コーディネートとは,調整や調和を図ることであるが,集落活性化の中でのこれを行うのは至難の業である。性別,年齢,セクター,集落内外,過去-未来,これらの関係性に配慮しながら,前に進めることは一種の職人技である。さらに本事業で難しいのは,“よそもの“の助言者としてではなく,地域に住み,伴走者として,時には,住民と同様のプレイヤーとしての役割も求められることである。このようなコーディネーターを,集落に“配置”するのは容易でない。本事業を展開する上で一番の課題となっていたのではないだろうか。コーディネーターが絶対的に不足するなか求められるのは,コーディネーターも集落とともに育てられるという考え方であり,そのキャリアを行政も集落もサポートしていくという姿勢である。また,コーディネーターは人でなく役割とも考えるべきである。誰でもコーディネーターになりうる。コーディネーターの育成とキャリア支援の仕組みづくりこそ,今後,県行政や我々に課せられた課題であろう。