博論の公開論文審査会を通過しました

公開論文審査会が終了し脱力する斉藤俊幸(左は那須先生)

広報交流委員会の斉藤俊幸です。かねてより大学院博士課程後期で博士論文を書いておりましたが、博論の公開論文審査会を通過しました。66歳、コロナ禍の間隙を縫って、ああ、よくできました、ですよ。

博士とは尊厳である

大宮登元会長のお誘いで地域活性学会に“お付き合い”で入ったものの、私はそもそも研究者ではなく、論文を書くなんて思ってもみませんでした。しかし、コロナ禍の中で折角学会に入っているのだからと、見よう見まねで学会に査読論文を書いて提出したら掲載を見送る、不採択の連続。見かねた御園さん(後に地域活性学会長)が、那須先生に教えてもらえとの一言で、高知工科大学大学院工学研究科基盤工学専攻博士後期課程社会人特別コース…というえらく長い名称のコースに入学することになりました。自宅で聴くオンラインの授業は快適でしたが、しかし、博士論文は大変でした。論文の内容はそのうち詳しく説明する機会もあるとは思いますのでここでは省きますが、那須先生からは「博士とは尊厳である」ということを学んだように思います。那須先生は「尊厳」という言葉を一言も発していませんが、まずは斉藤が得意な夏休みの宿題のような自由研究の延長ではないと言うことです。

仮説と先行研究はつながっている

仮説は現象の予測ではない。地域の現場で起きている現象の多くは先行理論でほぼ説明できる。仮説とは先行研究の延長線上にあるものだ。しかし実務者である斉藤は、研究者より現象の近くにいる。先行研究の向こうに斉藤理論はあるはずだと那須先生はオンラインの向こうで力説しました。私は先行研究はとても大切な存在だと思います。逆説的ではありますが、この構造を理解して自分が論じたい仮説を裏付けるような先行研究を探すと、自分の研究にフィットする研究論文が見つかる。先行研究にある仮説と同じようではあるが、しかし斉藤の言葉で加筆することで、仮説はより仮説らしくなってくる。このような見方を踏まえて仮説と先行研究を眺めると、そこには研究者に向けた尊厳が含まれていると感じるのです。

発表前に控室で緊張する筆者

大学院講義でサポートしてくれた五百藏(いおろい)さんと公開論文審査会通過を聞いて喜ぶ筆者

先行研究と事例研究から抽出できる要素をすべて図化した

論文は先行研究と事例研究から抽出した要素で因数分解するようなものと思います。私は因数分解で抽出した要素をすべて図化しました。図に書くことは工業高校時代からやってきており、非常に得意な領域です。要素を図化し、考察でそれぞれの関係を述べ、最後に統合する。これで実に斉藤らしい図が各所にちりばめられている斉藤理論ができました。メカニズムとはまさに要素が統合された機械のようなものと思います。この結論に至るまでの斉藤が苦しむ姿に、那須先生は決して甘い言葉は投げかけませんでした。妥協もしませんでした。そして私が理解したと思ったら忽然と消えた…(笑)。重い荷物を抱えたまま思考停止しカーブが曲がり切れずにいると再び登場し誘導する。この繰り返しをして、最後まで厳しい姿勢であったと思います。私は最初から最後まで那須先生から尊厳を感じていました。

JKだからできるのは理論を実証できること

私は、研究と並行して、斉藤理論に基づく事例を作ろうと思ってました。事例の中で生まれている現象は、論文に書きこんでいます。私が研究した畜産業と地域活性化という研究領域は研究者がおらずぽっかり空いていて、ここを埋めるべき研究論文を書きました。そして論文執筆と並行して牧場を作っています。つまり、私は博士課程を卒業して自分の研究成果を活かし、住民の方たちとともに起業します。70代でコンサルタント会社は廃業しますが、70代で起業しようと準備を進めているところです。

オンライン授業は楽しかった

公開論文審査会の前々日に高知に入り、高知工科大学の先輩の漁師さん、後輩の福島さんと飲む。やっぱ前日に飲むわけにはいかんでしょう。

博士になることを教えられるのは博士しかいない

那須先生は「博士になることを教えられるのは博士しかいない」といいます。なるほどと思います。ここに研究者が大切にしてきた尊厳ともいうべき世界がある。私はもうすぐ70代になりますが、70代になったら、先行研究と仮説の関係を示唆できる博士の育ての親になりたいと思っています。そして尊厳を伝えたいと思います。まずは、那須先生に感謝し、こんなチャンスを与えてくれた皆さまにも感謝したいと思います。

高知工科大学キャンパス

幕末の志士への尊厳なくして土佐は成立しないのである