和光市長、放送大学大学院修士課程で学ぶ

松本武洋(和光市前市長)

市長就任、だんだんと劣化していく知の基礎体力

39歳の時に埼玉県和光市長に就任しましたが、市長としての慌ただしい日々を1年ほど過ごしたころ、ふと思ったのは「これは意識しないとまとまったインプットが全然できないぞ」ということでした。市長職はとにかく忙しくて、月に1~2回の休み以外は毎日分刻みのスケジュールです。その合間合間にさまざまな制度改正をはじめとする知識を補充するのですが、副業のライターとして様々なところに取材に行ったり、まとまった読書ができたりした議員時代とは様変わりで、だんだんと自分でじっくりと考える、そのために徹底的に調べる、という知の基礎体力が劣化していることに気づきました。

無理やりまとまった勉強をするために大学院へ

そこで無理やりまとまった勉強をするしかない、と以前から行きたかった大学院に行くことにしました。まずは、2010年に放送大学大学院修士課程の科目履修生になりました。放送大学の修士課程では、本科生になる前に科目履修生として履修科目の単位の大部分を取っておき、その後、本科生として入学し、本科生としての2年間は論文だけに集中する、という履修計画が黄金パターンなのです。科目履修生になった私は、都市計画から公衆衛生まで、とにかくどの科目を勉強しても実務に活きる、というワクワク感とともに受講し、年度内に単位認定試験を受けつつ修士課程の入試も受験しました。結局、科目履修生として1年、その後、本科生として2年間の都合3年、市長職を務めながらのハードな学生生活を送りました。

試験日程の確保に苦しむ。

まず、単位認定試験については日程の確保に苦しみました。講義は録画して夜中に見ればいいのですが、試験日程は決まっているので、どうしても避けられない公務が試験と被ってしまうと単位を落とす羽目になります。さいわい、このような場面はほとんどなかったのですが、公務の合間に学習センターに急行して試験を受け、また公務に戻る、というパターンが何度もありました。また、本科生になった後、単位取得は数科目を残すのみでしたが、それでも論文執筆には手古摺りました。私が師事したのは行政法の來生新先生。私は健全財政を維持するための制度的な枠組みのあるべき姿について、自治体の立場から研究したのですが、アメリカの州憲法やヨーロッパ諸国の健全財政条項を調べ、関連する論文を探し、読み込む作業と市長業務の両立は想像以上にハードでした。

自由民主党地方税勉強会で地方税制に関する要望

実務経験を踏まえて書けるのが社会人学生の強みなんだ。

來生先生は「単なる文献調査の修士論文では社会人の修士論文として面白くない。実務経験を踏まえて書けるのが社会人学生の強みなんだ」という考え方であり、ちょうど和光市の健全財政条例の制定途上だった関係で、私の論文では和光市条例の制定過程や中身にもガッツリ触れることになりました。また、同時に副査としてご指導いただいた天川晃先生(故人)のゼミにも通うことになりました。公務の都合で毎度毎度出席できるわけではなく、今と違って遠隔での参加もできませんでしたが、それでも2年間、ゼミに通い、先生方のみならず、放送大学ならではの幅広い他の学生や先輩方と交流できたことは貴重な知的刺激となりました。

研究と実務

前述したように、私の研究はまさに和光市の健全財政条例の制定プロセスの進展とともに進みました。条例づくりが進む中で、先行事例を踏まえて、どのような規定にすれば実効性が高まるのか、どのような規定にすれば議会も納得できるのか、一つの条例づくりでここまで自分で調べ、徹底的に条文一つひとつにこだわったことは後にも先にもありません。もちろん、すべての条例について、自分で何でもかんでも調べて関わるわけにはいかないですし、それは効率的な仕事ではありません。しかしながら、一度このプロセスを経験したことにより、条例制定や改正に必要な知見であるとか海外の状況の見方など、私自身のかかわり方も変わり、修士課程での学びが政治家として大変大きな財産となりました。その後、全国市長会の子ども子育て分野の部会長になり、市長会を代表して政府とやり合う際にも、大学院で得たスキルが大いに活きました。

参議院内閣委員会で意見陳述

教育のおもしろさ

市長として仕事をしながら関西学院大学、放送大学で非常勤として講義をする中で、教育の仕事に興味を持ちました。そして、昨年、市長を退任し、現在は広島にある安田女子大学で実務家教員として教鞭を執っています。自治体の現場で感じていた人材育成の課題を踏まえ、情報の集め方やプレゼン、文書作成のテクニックなどを伝えるとともに、学生には自ら考え、議論し、アウトプットに取り組んでもらっています。特に私がこだわっているのは女子大学ならではの教育です。少子高齢化がさらに進む我が国において、女性の社会における活躍はマストであるという点について、さほど異論はないかと思います。しかしながら、仮に学生が公務員や公共の仕事に就くとして、そのフィールドにおいてすら、男女の格差は依然残っています。また、女性ならではのライフイベントもあります。それらを頭に入れながら、戦略的に人生を構築できる学生を育てる、というのが私の教育における目標です。

公共経済学の講義風景

博士論文に向けて

博士号がないことは大学教員としては非常に中途半端であり、一人前になるという意味で博士論文の執筆をひとつの目標にしています。地方自治、地方行政、自治体経営が私の関心の中心であり、研究と論文の執筆に取り組んでいるところですが、基本的には博士課程に進学して課程博士という形での博士号を目指しています。悩ましいのは、これまでも関心領域が広くてバラバラな分野のことを興味の赴くままに書き散らしてきた結果、明確な課題の絞り込みに成功していない、という点です。先日も、ある学会で教育委員会制度と地方自治の関係でお題をいただき、調べたり取材したりしてそれがまとまりつつありますが、市長としても苦労してきた領域だけに実に興味深く、さらには実務への示唆もいろいろと得ることができました。おそらく、これからさらにこの分野を掘り下げていきたいと考えていますが、この調子でバラバラに仕事をしていると博士号にはたどり着けません。進学先の絞り込みとともに、テーマの絞り込みを進め、実務家教員ならではの成果物を世に問いたいと考えています。

Writer:松本武洋