博士論文の謝辞に書いた方々を訪問

高知工科大学那須清吾教授

博士論文を書くきっかけを与えてくれた人たちのことを謝辞で書きました

「飲水思源」とは井戸の水を飲むときにはいつでも、井戸を掘った人のことを忘れてはいけないという中国のことわざです。周恩来が中国との国交樹立を果たした田中角栄に向け述べた言葉として有名です。論文を書くにあたり、多くのみなさまにお世話になりました。博論では、謝辞にその方々のことを書き、本を携え挨拶に伺いました。

大学院入学から修了までの道を導いていただいた那須清吾先生

高知工科大学大学院の那須清吾教授に多大なるご指導を賜りこの論文は完成しました。大学院入学までの道を開いていただき、質の高いご指導をいただいたことは感謝の他ございません。ありがとうございました。私は、高校時代、大学時代に建築学を学び、大学では集落調査を研究し、その後、都市計画、地域活性化のコンサルタントの世界に入りました。23歳の時にあるシンクタンクで全紙ロールのトレペにマーカーで描いている3案の本四架橋コースをみたのが社会人最初の経験です。西日本という視点でトレーシングペーパーに構想を描く仕事があるのだと感銘を受けこの世界に入ることを決意しました。本四架橋公団に那須先生がいるとは思いませんでしたが、奇遇を感じております。

地域活性学会に入らないかと誘ってくれた大宮登元会長

地域活性学会元会長の大宮先生に会うため、高崎まで行ってきました。斉藤に何度も地域活性学会に入ることを勧めてくれた師匠。斉藤が博士号を取れた、いわば井戸を掘っていただいた存在の師匠。博士論文を献上してきました。地域おこし協力隊の代表的存在の片品村の中村茉由さんにも声をかけて楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。

地域活性学会元会長の大宮登先生と元地域おこし協力隊で地域活性学会に入会した中村茉由さん

切れ味最高、大宮座長(内閣府、右から2番目)

那須先生に教えてもらえと御園愼一郎会長

私が、どうして高知工科大学大学院で学ぶことになったかということを説明させてください。そもそも地域活性学会元会長、高崎経済大学大学院の大宮登教授(現名誉教授)から地域活性学会への入会をお薦めいただいたことにあります。また、同学会の現会長で元総務省の御園愼一郎氏からは論文を書いてみないか、那須先生から指導を受けたらどうかとのご示唆をいただいたことが、今回の大学院入学と論文提出の大きな動機となりました。

地域活性学会御園愼一郎会長

御園さんは地域活性化伝道師創設に寄与、斉藤は初代地域活性化伝道師として内閣官房伝達式に参加

経営学で地域を考える契機を作っていただいた小泉肇氏

大学を卒業し、就職しなかった私は、24歳の時(1979年)に旅に出ました。コスタリカの工業団地計画があると聞き、参加したいと知人の調査団員に手紙を送ったら、来るなとのテレックスが日本工営本社に送信されてきました。でも、旅行で行くから立寄るだけよと本社社員に伝えたら、受入れOKの返事がすぐに返ってきました。サンホセ国際空港で毛布を抱え待っていてくれたのは小泉さんでした。プロジェクトは繁忙を極め、結局私は、この国の工業省自由貿易庁で1年近く働くことができました。当時、このプロジェクトは米州開発銀行が発注したもので、通産省の外郭団体の日本立地センターと日本工営がJVを組み受託し、日本の工業立地を代表する専門家が派遣されていました。斉藤は小泉さんと最終レポート完成までコスタリカに滞在しました。その後、私はキルギスの一村一品事業のプロジェクトでJICA理事長表彰をいただくことになるのですが、これもそれも小泉さんのおかげです。小泉さんは現在81歳です。JICA調査団長の小泉さんからは、インドネシアのSMEsクラスター振興プロジェクトのメンバーに入れていただき、瓦産業、豆腐・テンペ産業の振興を考えるチャンスをいただいたことが、経営学で地域を考える契機となりました。また、地域づくりの研究成果をそろそろまとめてみてはどうかとのご指導をいただいておりました。小泉氏にこの場を借り、感謝申し上げます。

キルギスの全国紙にイシククリ州副知事の日本訪問と一村一品事業の取組みが掲載される(前列中央:大分県平松元知事、右側:イシククリ州副知事、後列左側:小泉肇氏)、斉藤はキルギスOVOPプロジェクトでJICA理事長表彰をいただく。

私の仕事をずっと見守ってくれた地域活性化センター椎川忍理事長

総務省の地域再生マネージャー事業で「買い物難民」の存在を問題提起できたことは私の人生にとって大きな出来事です。また、11年間にわたり地域の現場に着任し、地域再生事業に取り組む私の姿が「地域おこし協力隊」の制度化につながったことは実に感慨深い出来事でした。地域再生マネージャー事業の現場に来ていただき、その後に地域おこし協力隊の制度化を発意された元総務省で地域活性化センター理事長の椎川忍さんに改めて感謝申し上げます。

地域活性化センター椎川忍理事長

椎川さんは、地域力創造アドバイザー、地域おこし協力隊、集落支援員の創設に寄与、斉藤は初代地域力創造アドバイザーとして総務大臣室での伝達式に参加(椎川さんは総務大臣室で当時画面右側に立って撮影を見守っておられたのが印象に残ります。)

小田切徳美先生が発する農村集落への熱き思いを追いかける

明治大学の小田切徳美先生に博論を献上してきました。小田切先生が発する農村集落への熱き思いに斉藤は大きく影響を受けてきました。博論では、おそらく小田切先生と同じ論点で展開しています。また同席した小田切ゼミの大阪農芸高校出身の小西さくらさんとは5年ぶりの再会でした。私は彼女のAO入試を手伝いました。明治大学農学部に行きたい。明治大学は小田切先生がいるから、小田切ゼミで学べるといいね。5年前にそう話合いました。彼女は初志貫徹、ブレずに小田切先生に学び、畜産業界のシンクタンクである社団法人中央畜産会に就職が内定しました。ここは業界一の最難関です。これからハードワークが待ってますが、がんばれ。たまにはゴチするから。そして、ここまで育ててくれて小田切先生ありがとうございました。

明治大学小田切教授と大阪農芸高校時代から旧知の小西さくらさん

小西さんのことを書いたコラム(日本農業新聞)

Writer:斉藤俊幸