【地域活性学】地域活性化政策はどこに向かっているのか

斉藤俊幸

戦後の地域活性化政策の系譜を考えてみました。私は、工業高校で建築や都市計画を学び、工業大学では、20歳から離島の集落調査をしておりました。会社には就職せずフラフラしておりましたが、20代前半はコスタリカに渡り、工業団地計画に参加しました。その後、26歳でコンサルタント会社を起業しましたが、会社では主に都市開発の仕事をしていました。転機は40代後半に訪れました。それから、11年間、総務省の地域再生マネージャーとして、地域に住込み活動しました。学生時代を含めると、都市開発から集落振興までの勉強や仕事を50年以上したことになります。そこで個人的ではありますが、私が関わった地域活性化事業を中心に系譜を作りました(表1)。

表1 戦後の地域活性化政策の系譜(個人的な仕事の系譜から)

資料:筆者作成

国主導の骨格形成から個人の地域社会貢献へと向かう地域活性化

戦後の復興期は、国主導で新幹線や高速道路、テクノポリスなどの日本の骨格となる事業が進みました。しかし「格差是正」の名のもとに地方では毎年当たり前のように同じ団体に補助金が入り、競争力を失っていました。私たちはバブル崩壊に直面しましたが、競争力のない地方からは、経済再生に打ち返す波は起こりませんでした。その後、小泉内閣が実施した地域再生事業では、「格差是正」から「選択と集中」へと政策の基本的な指針の転換が行われ、市町村主導の地域間競争が始まりました。しかし、どうでしょうか。人口減少社会に突入し、総務省は2040年には、地方公務員は半減すると言っています。市町村が、地域活性化を担うことは遠からず、むずかしくなるのではないでしょうか。地域活性化のプレイヤーは国から市町村へ、また市町村から個人へと移管し始めているというのが、現在の状況といえるのではないでしょうか。地域活性化事業は公民連携の先進事例が増える中で、民間の地域活性化ビジネスへの参入がみえ始めています。また、その地域に住む個人は地域の中で社会貢献を行うことによって、社会的価値を創造するというような方向性も見え始めているのではないでしょうか(図1)。オンラインで結ばれた私たちは同時多発的に、集合的に、地域活性化の動きを強めることも可能と思います。

図1 地域活性化政策はどこへ向かうのか

資料:筆者作成

地域活性化政策の何が失敗だったのか

戦後の地域活性化事業の系譜をたどると、地域活性化事業の失敗が見えてきます。地域活性化政策の何が失敗だったのかと言えば、①バブル崩壊後に公共事業による景気浮揚策しか選択しなかったこと、②就職氷河期世代への対応が遅れたこと、③人口減少問題への察知が遅れたことの3つであると筆者は考えています。つまり、バブル崩壊後に状況を見据え適切な対策が打てなかった。この3つはつながっています。しかし、その後に、新しい価値観を持った若者が誕生しました(図2)。筆者は博論において、彼らを対象にヒアリング調査を実施し、その特性を把握しました。彼らは、仕事より家族を大切に思い、仕事は生きてゆけるとの目星がつくのであれば、補助金をもらい、ビジネスを拡大し、事業が成功することを望んでいません。フードマイレージ、脱炭素などへの関心が高く、自らも社会貢献をしたいと話しています。これは昭和の時代の長老たちの野望とは異なる志向です。まさに、競争から非競争へと社会が変わろうとする変曲点に我々はいるのかも知れません。

図2 将来への布石を打て

資料:筆者作成

新しい価値観を持った個人が集まることで社会的価値を創造することができる(薄いレイヤーでもね)

人の変化は、社会の変化を生み出します。新しい価値観を持った若者(後継者)が社会の社会的価値を生むことができます。彼らが、バブル崩壊後の困苦の中で偶然、育っています。彼らこそ、次世代の地域活性化事業の原動力となると思います。日本の地域活性化政策は地域課題の対策に終始することなく、彼らの存在を早く認識して社会的価値を生むための将来への布石を打つべきと考えています。

集落の福祉的政策と社会的価値を生む新しい地域ビジネスの誕生

地域活性化政策は、集落に住む高齢者のための買い物支援のタクシーの運行や見守りや健康維持などの個人に対応した福祉的政策が行われます。しかし、これは高齢者対策であり、過渡的な措置といえるでしょう。その後、集落は消滅し、農地は撤退し、森となるのでしょうか。土地利用に関する社会的価値は、放牧、脱炭素、循環社会、フードマイレージ、動物福祉などがあります。農家個々が生む社会的価値を生む新しい地域ビジネスのかたちがいずれ生まれてくるのではないでしょうか。

地域活性学に関するご意見をお待ちします。

Writer:斉藤俊幸