【地域活性学】民間主導のまちづくりが示す金融制度の重要性

スイデンテラス(山形県鶴岡市)

地域ビジネスにはイノベーション資金が必要だ

地域活性化にはヒト・モノ・カネが必要であると言われていますが、自らがおカネを出して民間主導でまちづくりを進める事例はそれほど多くはありません。地域ビジネスの分野ではこれからの地域活性化政策を占う好事例があります。山口県宇部市の重工業地帯を形づくった「宇部精神」(1910年代)、滋賀県長浜市の「黒壁スクエア」(1980年代)、山形県鶴岡市の「スイデンテラス」(2010年代)の3つをご紹介します。時代は異なり、地域が目指す未来像も異なります。1910年代当時の宇部市は重工業を志向しその先駆け的存在となりました。長浜市は商店街振興を志向し、中心市街地活性化の先駆けとなりました。また、鶴岡市では若い移住者が、観光事業(ホテル)という大規模投資を、金融制度を駆使して乗り切り、地域活性化に金融制度の知恵が使えることや個人でまちづくりを始めることができることを示しました。時代により、重厚長大型産業、中心市街地活性化、観光と目指したものは異なりますが、いずれも地域ビジネスの勃興にイノベーションのための資金が必要であることを示しています。逆に言うと地域再生事業や地方創生事業で盛んに行なわれた6次産業化や内発型雇用創造の多くが失敗したのは、イノベーションのための資金が不足していたからだと言えないでしょうか。

市民の出資で創業した宇部興産(山口県宇部市、1910年代)

宇部市は明治時代に産業都市の基礎を築くことに成功しました。宇部市に工業が誕生した背景には、石炭事業の限界を察知した経営者の目利き力と迅速性がありました。近世における宇部炭の用途は、周辺農村の家庭用燃料程度でしたが、石炭産業の勝者を決めたのはリスクの高い海底進出でした。一方、1910年代前後から日本では工業が起こりました。電気工業、化学工業、セメント工業などです。それは、「現在の石炭の恩恵は将来の工業に転化し、石炭はたとえ消滅しても工業を残すことによって子々孫々まで生活を豊かにし得るようにしなければならない」という当時の宇部市のリーダーの言葉に象徴されます。宇部市は石炭産業が豊かなうちに新たな産業の成長へ向けた実践を開始しました。宇部興産の設立当時の各社の株数および株主数をみると、いずれも宇部市民の占める割合が70%以上です。これは宇部興産が市民の事業で、小さな投資を積み重ねて発展してきたものであることを示しています。これらを総称して「宇部精神」といい、今も宇部市で語り継がれています。

宇部興産の株数・株主数に占める宇部市民の割合 (1942年)

事業所名 総株主数(人) 宇部市民の所有割合(%) 総株数(株) 宇部市民の所有割合(%)
沖の山炭鉱 1,496 84 130,000 94
宇部セメント 2,482 76 280,000 74
宇部窒素工業 3,171 72 500,000 74
宇部鉄工所 1,162 92 100,000 92

資料:渡邊翁記念文化協会「宇部産業史」(1953年)

宇部興産(山口県宇部市)

参考文献:岩間英夫,宇部鉱工業地域社会の形成と再生の要因,人文地理 第43巻 第2号 (1991)

旦那衆が資金を持ち寄り創業した黒壁スクエア(滋賀県長浜市、1980年代)

滋賀県長浜市旧市街にある黒壁は年間約200万人の観光客が訪れる観光客を対象とした商店街です。黒漆喰でできた旧第百三十銀行(1899年竣工)が取り壊されることが決まり、保全すべきではないかとの声が住民から出ました。そこで、地元企業が中心となり出資し、観光集客施設として改築・保存しました。1988年に地元企業8社が9000万円の出資を決め第3セクターを設立しました。また、1口500万円の追加出資を実施し、38社4名から2億円、市から1億円の出資を得て、まちづくりを開始しました。中心市街地の代表的な成功事例となりました。1社あたり500万円という大金を出せる旦那衆がいたのが成功要因のひとつですが、住民からの発意で、住民自らが出資することは、地域ビジネスの本来の姿です。民間主導の地域活性化事業の先駆け的存在として、認識すべき事例です。

黒壁(滋賀県長浜市) 出典:フェースブック黒壁スクエア

若者が金融制度を駆使して創業したスイデンテラス(山形県鶴岡市、2010年代)

山中大介氏は2018年にオープンした国内最大級の木造ホテル(全143室)の経営者として注目される存在となりました。当時、工業団地が行政主導の開発で進んでいましたが、予算が限られる中で、今後どのような開発をするのかは描けずにいました。山中氏は行政や誘致企業から民間主導での開発ができないかとの相談を受け、自分で事業を起こすことにしました。翌年には資本金10万円で会社を創設し、資金集めに奔走しました。しかし、資金は思うように集まりません。そんな中、地元建設会社や地元金融機関が山中氏の本気度を知り支援を決め、23億円を集めることに成功しました。この資金で工業団地内にある農地14ヘクタールを買収し、開発可能な宅地に転用しました。一部を売却し資金を得ることに成功し、建設したホテルを担保に銀行融資やファンドを受けるなどして、ホテルの事業費を捻出することに成功しました。どうして移住した若者に地元建設会社が23億円も拠出したのか。それはホテル総事業費に土地購入費の23億円を上乗せして事業が発注されたからです。地元建設会社はもちろん随意契約でこの建設を請け負ったわけです。このやり取りの背後に金融機関がいます。10万円という少額の資金のみ所有していた30代の若者が、金融制度をうまく組合せ、総額40億円を越える事業費を捻出し、ホテル事業を実現したことは、必ずしも地方自治体が関与せずとも、補助金も使わずとも地域活性化を果たすことができることを示しました。ここに地域内外の若い人材が集まり、地域ビジネスによるまちづくりが進んでいます。

スイデンテラス(山形県鶴岡市)

融資に経営者保証を取らなければ起業家はもっと増える

宇部興産は市民からのイノベーション資金の拠出によって創業しました。黒壁スクエアは旦那衆が資金を持ち寄り創業しました。では、現代ではどうでしょうか。地域で若い個人がイノベーション資金を集めて創業にこぎ着けるのは難しいです。スイデンテラスの経営者個人の融資保証額は未公開ですが、数億円を越えるのではないでしょうか。これでは、地域ビジネスを起そうと考える若者のリスクは高く、起業家は、なかなか生まれにくいです。金融庁は経営者保証に依存しない融資を普及させるために全国の金融機関に要請を出しました。ソフト開発などでは担保にできる固定資産が少ない場合が多いです。こうしたベンチャー企業でも事業の将来性を踏まえて、融資が受けられるようにするべきです。国は事業の将来性そのものを担保として融資を受けられるようにする「事業成長担保権」の法制化を目指していると新聞は伝えています。スイデンテラスのような事業を目指す若者をもっと輩出すべきです。まさに地域活性化政策で金融が必要となってきている証ともいえます。また同時に地域における起業教育や金融教育も重要性を増してきています。

ただし…地域ビジネスの創業は長老に対する尊厳や相互承認が必要だ

ここで一つだけ問題点があります。宇部精神も黒壁スクエアも長老主導であったことです。スイデンテラスは役所の要請はあったものの、若い移住者個人が行ったものです。おそらく、地域内で生まれた若い出身者が一人で、事業を思い立ち実行することはできなかったのではないでしょうか。特に地域ビジネスの誘致や起業により集落存続を目指す場合、民間企業の事業継承や私的整理で行われる経営者の退場だけではすまされないということです。おそらく長老に対する尊厳や長老からの承認が必要であることを付け加えます。

地域活性学に関するご意見をお待ちします。

Writer:斉藤俊幸