野澤 努
博士(北海道大学地球環境科学)玉之浦町未来拠点協議会会長 地域プロジェクトマネージャー 前宇都宮大学雑草と里山の科学教育研究センター研究員 元東京大学医科学研究所科学技術振興研究員 元University of Rhode Island アルボウイルス研究主任
離島に生きる
4年前、大学で研究することを一旦止めて地域おこしを通じて離島に住み始めた。元々、五島に関心が沸いたのは、全国のダニ媒介性感染症の現状を知るために国内あちこちを訪れていたことが起因している。この五島にも来ていた。結果は最悪で、ダニ媒介性病原体の抗体を高率で保有している地域が他になかった。何とかしなくてはいけない。それまでも、こまめに感染症のリスクと対策方法伝授するための講演会を開いてきた。しかし、講演後の住民たちの声は、「大学の先生がなんか良いことを教えてくれた」まさに他人事のような感想だった。 五島は貴重な天然の海岸線が残っている。栃木県で生まれ育った子供らを同伴したいと考えていた。しかし、育ち盛りの子供2人を連れて暮らすには薄給の地域おこし協力隊応募の話は、妻の乾いた笑顔を引き出した。「仕送りするよ。頑張って。」
DX獣害対策システム起動
獣害対策をミッションとしていたが、高齢化している当地では市職員が捕獲を行うのが当たり前になっていた。毎日支所の電話が鳴った。「市役所がサボっているけん、鹿がおっとぞ」ナンバ イイヨット。苦情の電話に辟易した自分は、毎日地域で狩猟免許を取得した70近い住民の自宅に入り浸り、狩猟免許を取ったおじさんたち集めて勉強会。素人おじいちゃん集団に安全な捕獲方法を伝授し、ついには捕獲隊を結成した。嬉しそうに「獲れた!ざまに太かった!」と話す一人は年間200頭を超えた。ジビエの普及、皮の利用など地域のおばちゃん、高校生も巻き込んで組織化を進め、当地の特産品になってきた。 さらに、総務省のR3過疎地域持続的発展支援交付金事業に応募して五島市鳥獣被害対策ICTイノベーション事業を立ち上げた。事業ではプロポーザル入札で委託を獲得した三重県の業者と毎週リモートで会議を重ね、住民からの目撃情報、捕獲報告、わなの作動状況そして目撃情報を利用した危険地域接近アラームシステムを備えた有害鳥獣対策アプリ「けものおと」を作り上げた。これによって、捕獲隊はわなの見回りをすべてする必要も、支所に来て捕獲報告をする必要もなくなっただけでなく、住民の目撃情報を活かした捕獲計画を立てることができ、観光客などのレンタカーなどが鹿にぶつかる事故も無くなった。
地域プロジェクトマネージャー就任
市長から「次は鹿・猪ではなく人で」と言われて辞令を受けた。長崎県1号の地域プロジェクトマネージャーは、まちづくりの活性化に携わることになった。地域既存組織をかき集めて13団体もまちづくり協議会を市が立ち上げたことで、希少性が失われ、単に町役の充て職を増やしただけの体になっていた。しかし、五島は集落ごとに風習だけでなく、言葉も少しずつ違うと住民は必ず主張する。つまり、13団体もあっても、まだまだ少ないほどに各団体の中はバラバラである。とにかく住民の話を聞こうと、本庁勤めになったもののほとんど椅子に座ることなく、各支所や出張所に拠点を置いて、団体の集まりにまめに参加した。
地域の拠点「もやい場どがんね」立ち上げ
二次離島の奈留島を訪れたければ、福江島で乗り換える。ゆえに人が来ないという。したがって主要産業は観光よりも水産業の方がまだ元気である。ところが、町を歩いていて、魚を食べる店がないことに気づいた。「そう。地元の魚は売ってないし、食堂では殆ど食べられない」という。魚はみんな漁協を通じて島外に出てしまうとのこと。住民アンケートにも「魚を食べる店が欲しい」とのこと。まちづくり協議会の事務局を担う集落支援員さんは「支所でまちづくり協議会事務局って言ってると、結局『市役所なんでしょ』って言われる。住民が苦情に来る感じで、協働なんて全然。」じゃあさ、外に作ったら?というと目を見開いて「いんすか?」ついでに、店もやったらいいじゃない。 資金どうする?場所どうする?電気代は?いつまでに?といろいろ支援員さんの疑問の嵐。奈留まちづくり協議会の良いところは、話し合いの場を簡単に作る習慣があること。面々が招集され、「やろうで」と一言。メンバーの一人が、すぐに始めるならうちの店を貸そう、と元飲食店の建物を提供。目指せ「長崎新幹線開業の日」の掛け声に、4月「いいんすか?」から始まったプロジェクトは10月結実。地元の料理自慢のおじちゃんおばちゃんが厨房に立って、一本釣り漁師の好意で集まる魚を食べる店が奈留に誕生した。
豊かな日本
まだバブル景気の絶頂期の最中に勤めていた石巻の水産会社が突然倒産した。起死回生をかけて大学院を目指し、日中は工事現場で足場組みをやり、夜の町の片隅で働き、酔っぱらいに何度も殴られた。工場のラインでも働いた。そこで多くの涙を流す人に会い、「豊かな日本」の影を見つめていた。公衆衛生分野の研究者としては、ダニ媒介性脳炎ウイルスを発見する等の国内外で成果を上げてきたが、人の幸福はここでは生み出せなかった。今、この離島から日本を変えてみたいと張り付いている。