地域活性化という言葉に違和感

古川 寛

今を大事に、今を豊かに生きたい。

私は方向性を定めないのでうろうろしてますね。明日何があるかなんてわからないので今を大事に、今を豊かに生きたいと思いながら丁寧に時間を重ねてますね。今さえよければという刹那主義ではないですよ。どう丁寧に時間を重ねられるか、明日も楽しくするためにはどうすればいいか、来年も、5年後も、ってのは考えてますね。ずっと楽しければいいという享楽主義ではあるかもしれません。楽しさが続く暮らしって豊かな暮らしだと思うし、どこに楽しさを求めるかが大事なんだと思ってます。人と笑顔で入れること、これが楽しくて仕方がないんですよ。

地域活性化という言葉に違和感

地域づくりとか地域おこしとか地域活性化とか地域振興とか、その言葉というか響きというか、違和感を覚えていたんです。地域はおきていないわけではないし、作られていないものでもないし、地域の人たちはむしろ活発だし、盛んにいろいろやっているんだから。多分語源はいろんな学会とかなんだろうけど、頑張ってるのに、活発にやってるのに、活性化とか、おこし、とか言われるとできていない、やっていないように見えるという自信の喪失につながる気がして。課題は田舎都会問わず、どこにでもあるし、昨日今日に突然におったことじゃないから、時間をかけながら順応ともいえる克服をしている事柄もあるわけです。もちろん、長い目で見れば先々が不安ということはたくさんあるけど、それは田舎だけのことじゃないわけで。少し話がそれたけど、田舎の人って、すごくしたたかに、そしてのんびりとその暮らしを、意図せずして、満喫していると思うんです。この意図せずして、が厄介なところですが、また別の話なので割愛するとして、決して裕福ではないけれど、ご近所さんと和気あいあいとしながら、とても豊かな暮らしをしているんです。過去から受け継がれてきたものを大事しながら、ちょっとずつ新しいものを取り入れながら。その様を見ていると、なんというか時間を丁寧に紡いでいっているようで。で、思いついたんです。私のように地域の外の人間が地域の豊かさを広げるって、なんだか糸を紡いでいるようだなって。「地域つむぎ」ってなんかしっくりくるなって。

紡ぐって時間を作っていくときに使われる言葉

繭から糸を作っていく工程を紡ぐというのですが、地域にはいろんな楽しい繭がたくさんあります。楽しい繭を持っている人もたくさんいます。でも本人にとってはそれが当たり前のことだから全く気付いていなくて。そういうたくさんの繭から一本の糸を紡いでいく。紡ぐっていう言葉は歴史を紡ぐ、未来を紡ぐ、というように時間を作っていくときにも使われます。これからの地域を紡いでいく。だから「地域つむぎ」。そうやって紡がれたたくさん糸が折り重なって一つの布になって、地域という色を作っていくってなんだか素敵じゃないですか?課題や問題も含めて、その地域のいろなわけで、そういうのもひっくるめて一本の糸であり、一枚の布であり、その地域の色なんだと思います。そんな当事者だけでは見つけることのできない色を見つけていくのが地域つむぎ。ちょっとこの言葉、はやらせていきたいんです。地域づくりとかの言葉で地域の人を傷つけたくないんです。ということで本日より『地域つむぎ人』を名乗っていきたいと思います。皆さんもご自由にどうぞ^^

古川 寛(Facebook投稿から抜粋)

地域のお祭りの写真です。みんなで飯食ってるだけですがすごく豊かな時間ですよね。

どんどや

私のいた集落のどんどや(他の地域だととんど、鬼火焚き)の写真です。とくにどんどやは大好きなんですよね。昼間っからみんな楽しそうにお酒飲むし、たわいもない話で盛り上がって。すごく贅沢な時間の過ごし方です。ただ、かっぽ酒(竹で日本酒の熱燗を作る)なので私は大体もうろうとしてましたが。

古川 寛

熊本県和水町地域おこし協力隊として2012年に奈良県より移住。現役時代はフリーミッションで、空き家バンクや移住支援、地域づくり活動のお手伝いや団体の立ち上げ、地域産品の六次化など、様々な活動を横断的に行っていました。また、その傍らで、地域おこし協力隊向けの研修を開催するなど、地域おこし協力隊の資質向上にも努めてきました。2015年の退任後に、地域の生産者の状況改善のために、生産者の利益を確保を目標とした農作物を販売する法人を立ち上げるも、市場経済の厚い壁に阻まれ、生産者の利益を守るか、法人を存続させるかの二択の末、法人を解散。その後、人の縁から、地域づくりのコンサルタント事業をしている会社に入社。現在は、地域おこし協力隊の支援事業を行っています。/地域おこし協力隊九州サミット発起人、九州地域おこし会会長、心理的安全性アンバサダー、地域力創造アドバイザー