JKサイトの記事が100号に到達しました。ここまでの購読をありがとうございます。国際P2M学会が配信する、P2M マガジン 17 号(正月号)特集「地域社会の未来展望と P2M」に寄稿しました。地域活性学会の実務家支援の経緯をまとめています。100号に際して、同誌の特別寄稿をベースにまとめました。
私は大学研究者の教えで成果を上げてきた実務家である
筆者は26歳でコンサルタント会社を起業し、今年で67歳であることを考えると、40年間も従業員のいない一人親方の会社を経営してきたことになる。東京の超高層ビル群が林立する西新宿は、筆者がコンサルタントとして育ったまちである。起業して最初の20年間は、首都高速道路の上り口にある7坪のワンルームマンションを借り、コンサルタント業を営んでいた。このまちには、ゼネコンがあり、大手設計事務所があり、大手住宅産業があり、シンクタンクやコンサルタントがあり、全国各地の大規模プロジェクトが進行し、下請け仕事に困らなかった。バブル崩壊後の20年間は、自宅に本拠を移し、地方自治体への単身赴任の仕事で生き残ってきた。この40年間、経営を考える暇もなく、日夜あふれる仕事をひたすらこなしてきただけの社長であった。しかし共通することは、その時々において大学の研究者から示唆に富む教えを得て、前に進んできたことである。
西新宿は筆者がコンサルタントとして成長したまち
まちなか研究室
最初の大学研究者との出会いは関東学院大学教授の昌子住江氏である。私は昌子ゼミの非常勤講師として9年間大学生の教育に携わった。2002年に関東学院大学の玄関口にある横須賀市追浜商店街からまちづくりに参加しないかとの打診があり、昌子ゼミは参加することになった。ゼミの学生が入り、地域づくりの現場で学び、その成果を報告書として取りまとめたところ、商店街の人たちから「報告書を作り、この商店街から去ってしまうのですか」と問われ、我々は、この商店街にまちなか研究室を作ることにした。モデルになったのは、関西学院大学教授の片寄俊秀氏の「ほんまちラボ」(兵庫県三田市ほんまち商店街)であった。追浜商店街では自立の仕組みを作るために商店街に小規模ワイナリーを作った。1か月に1回、商店街の人も住民も学生もボランティアでワインを造りその収益でまちづくりをしようというのが我々の合言葉であった。まちなか研究室「追浜こみゅに亭&ワイナリー」はこうして立ち上がったのである。そして、そのころ、この取り組みをみていた総務省ふるさと財団の担当者から私に、地域再生マネージャーとして同じようなまちなか研究室を作ってもらえないかとの依頼が舞い込んだ。2003年、小泉内閣において、地域再生事業がスタートし、その柱の事業のひとつとして、総務省において地域再生マネージャーの制度化が行われ、それから60歳になるまでの11年の間、私は地域の現場に赴任して活動することになった。
関東学院大学元教授昌子住江氏(左)関西学院大学片寄俊秀氏(右)
創発とは瓢箪から駒、怪我の功名、思惑倒れである
小学校の同級生に東京大学名誉教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター研究院教授の藤本隆宏氏がいる。地域再生事業が始まる2003年に意見を聞くために、彼を訪ねたことがある。藤本氏は、その場で、「地域再生の成功のポイントは、創発とパッションだ」と言い当てた。創発とは瓢箪から駒、怪我の功名、思惑倒れのことである(藤本,能力構築競争,2003年)。2004年に地域再生マネージャーとして最初に赴任した熊本県荒尾市では、近隣商店街に横須賀市追浜商店街のようなまちなか研究室を作ることがミッションであったが、自立の仕組みとして小規模ワイナリーを作るとともに直売所を運営することになった。そして開店の初日におばあさんが現れ、「1キロ先にあるショッピングモールまで歩いてゆけない。しばらく青物を食べていない。1週間に1回タクシーに乗って買い物に行っていた。ここに直売所を作ってくれてありがとう」と生活に窮する状況を説明した。我々は、まさに買い物に苦しむおばあさんの存在を日本で最初に発見することになったのである。この大発見は後に「買い物難民」という言葉で研究者たちから指摘され、国を動かす大きなニュースとなった。その後、筆者が住み込み活動する姿が、地域おこし協力隊のモデルとなり、総務省で制度化された。また、当時の内閣府参与からは筆者のような職能をもつ人材を100人育成したいと言われ、国家戦略検定食の6次産業化プロデューサーの資格の創設が行われた。まさに藤本氏がいう瓢箪から駒の出来事が続き、筆者は創発という現象を当事者として経験した。筆者はこのように大学研究者の教えから成果を生みだしてきた実務家である。言い換えると研究者が言っていることを実務家として現物化し、差し出しただけである。実務家が創発を起し、新しい領域に入り、その現場の周辺に研究者や政策立案者がおり、様々な成果を理論化し、政策化してきた実態があることがわかる。
東京大学名誉教授藤本隆宏氏(右)と筆者
現象から理論化、政策化までのリードタイムの短縮が重要ではないか
実務家は地域の現場において創発を起すことができるが、その価値は実務家自身がおそらくすぐには理解できていない。研究者はその現象の観察者であり、その価値を定義し理論化できる存在である。研究者は実務家の近くにいて、地域の現場で起きている現象を興味津々に見ていることが重要である。また、学会の中で実務家と研究者の共同体制が確立しているのであれば、研究者はその現象が起きている現場に容易にアクセスできるとともに一緒になって考えることができる。日本では博士論文の本数の減少が問題視されているが、筆者は論文の本数が問題なのではなく、地域の現場で起きている現象の問題提起から理論化までのリードタイムの短縮が重要ではないかと考えている。筆者は学会の投稿論文の査読を行うことがあるが、論文の“作法”が完璧にできているにも関わらず、もう10年も前の古い事例研究と問題意識であり、残念に思うことがしばしばある。もう少し、最前線の問題意識を持てないものか。そのためにも創発を起せる実務家と研究者のタッグは、研究者を最前線にいざなう。逆に言うと、実務家は研究者との関係を増やしてほしい。それが、地域活性学会が実務家研究者を育成しようと考える思いであり、大きな理由である。研究者の存在意義とは何か。それは、問題提起、課題抽出、解決策の政策立案の速さを持っているからだと言われる研究者群であればこそ、存在意義のある集団と言われるものとなる。かつて就職氷河期世代への対応が遅れ、それが人口減少社会を誘発した遠因であることを考えると現象への問題提起、課題抽出、解決策の政策立案は遅れてはならない。研究者と実務家との柔軟なタッグは、まさに地域活性をテーマとする研究学会が持っている責務といえよう。
地域活性学会はJKに関する試みを開始した
地域活性学会の4代目会長に実務家出身の御園愼一郎氏が就任した。本学会初の実務家の会長就任である。そもそも、小泉内閣の地域再生事業の中で、当時の内閣府にいた御園氏たちの発意により、この学会が生まれた。2008年に書かれた設立趣意書には「地域再生ないし地域の活性化に関心を持つ全国各地の大学研究者のほか、国や地方自治体の職員、NPO、産業界からも多彩なメンバーが参加し」と明記されているが、年々、研究者の割合が増え、実務家と言われる人たちの減少が続いていた。御園会長は、就任時に顔の見える学会、地域活性学の確立、実務家研究者の育成と3つのテーマを提示した。また、広報交流委員長として筆者が指名された。筆者は、実務家研究者をJKと称し、地域活性学会JKサイト(ホームページ)を構築した。このサイトでは実務家研究者の姿を伝えている。また、顔の見える学会を目指して、会員相互の紹介を行う地域活性学会ブランチというサイトも構築した。この2つのサイトはブログ形式となっており、広報交流委員会のメンバーが中心となり会員に記事を依頼するとともに、ページ制作を行っている。またSNSグループや会員メールを通し情報配信を続けている。
御園愼一郎氏(会長)
本誌の目的は 研究者と実務家が協力して議論を交わし、より実践的な学術知の形成に取り組むことである
また、地域活性学会は2022年度版の投稿要領を発表した。投稿要領、査読審査ガイドライン及び査読体制は今まではなかったが、JKを意識して、査読論文の考え方がはじめて明記された。この中の一文を引用すると「本誌の目的は 研究者と実務家が協力して議論を交わし、より実践的な学術知の形成に取り組むことであり、そのために本誌は自由闊達な議論の場を学会員その他読者に提供するものであるから、投稿者が発案・熟考し、考案・試行した新規性・独自性 を評価すべきである。新たな実践的学術知の形成に向けては、形式的な要件は最低限にとどめ、論考や取り組み等の独自性(オリジナリティー)、有用性(実用上の利用価値)、進歩性(新たな解釈や理論的枠組み)等を重視した評価姿勢 が求められる」とある。まさに地域活性学会の研究者がJKに手を差し伸べた文章である。また、学術誌の意義、位置づけにおいて、本学会の研究目的として掲げる「地域活性に関する学術研究の高度化」と「地域活性に関する実践的研究の促進」に貢献するという視点から、研究者と実務家が協力して議論を交わし、より実践的な学術知の形成に取り組むことを目的とすると明記された。
大きな改革を牽引した保井俊之氏(学会誌編集委員長)
大きな改革を断行した
研究分野・内容と投稿区分においては、地域社会の振興・活性化や地域課題の解決等に関する研究には、大別して、事象や取り組み等を学問的新規性の観点から論じる「学術研究」と、現実的・実践的な手法や解決策等の実現に主たる関心を持つ「実務研究」の2分野がある。両者は相互に関連しており、それぞれの研究から得られる知見を共有し融合することによってより実践的な学術知の創出につながるとの考えから、この2分野を本誌が取り扱う研究分野・内容と定義し、それぞれ「学術研究論文」、「実務研究論文」の2区分を設定すると位置づけた。この異なる目的を持つ2つの分野は並列に扱われるとともに、知見を交換し合い、切磋琢磨しあって発展すべきものであるが、研究の発展にはいくつもの段階があり、時間もかかる。研究の萌芽段階や中間段階において得られた有用な知見や情報は、それだけで有用なものであることから、論文としての完成度はないものの有用な知見や情報について本誌で取り扱うことは重要であるとの認識から、「学術研究ノート:学術研究論文に相当する分野における萌芽的・中間段階での成果に関するもの」、「事例報告:実務研究論文に相当する分野における個々の事例や取り組みの詳述・紹介に関するもの」の2区分を設定する。いずれの区分においても、投稿原稿は著者の独善的なものであってはならず、 最終的な評価は読者が下すものとの考えから、掲載可否の判断には第三者による査読を経て、論文誌編集委員会が客観的に判断するものとするとの姿勢を明確にした。地域活性研究誌の論文の区分は図1の通りである。これは、地域活性学会にとって大きな改革である。
図1 地域活性研究誌の研究区分 資料:地域活性学会
実務論文書き方教室を開催し多くの受講生を集めた
地域活性学会の投稿研究区分は学術研究論文、実務研究論文、学術研究ノート、事例報告の4つに再分類された。併せて「地域活性研究」誌投稿要領、「地域活性研究」誌査読審査ガイドライン、「地域活性学会誌」査読体制、「実務研究論文」の書き方が公開された。これを踏まえてJKを対象とした実務論文の書き方教室のオンライン講義を開催した。会員向けメールで募集した受講応募者数は59名であり、3回実施した教室では、熱心な講義が行われた。また、この講義動画は地域活性学会のホームページで公開した。
違和感信号を感じてもらいたい
第1回講義を担当した永松俊雄氏(崇城大学元教授)は「大丈夫、必ず書ける」をテーマに講義した。実践知に基づく「確信的直観」により結論を一瞬に導き出せる。処理結果のみ送られてくる。どのような思考を経てその結果に至ったかはわからない。「神の一手ですね」と言われても他の人はわからない。もっともらしい理由をつけているだけであり、他の人に教えられるものとはならない。なぜその行動を選択したのか。必ず理由がある。その理由を考えて言葉で書き起こす。なんとなく違う、何か足りないという違和感信号を感じてもらいたいと熱弁した。
永松俊雄氏(論文サポート・スクエア)
WHYかHOWか
第2回講義を担当した西川洋行氏(県立広島大学地域基盤研究機構地域連携センター准教授)はWHYかHOWかをテーマに、学術研究論文と実務研究論文の違いは研究動機の違いである。研究者は自分自身の研究業績にしたいという動機を持っている。実務者は、実務研究論文は実務の現場そのものを伝えることが動機である。言い換えると、多くの人に読んでもらうために公表することが動機である。研究者の学術研究論文はWHYの応えることであり、実務者の実務研究論文はHOWに重点がある。先行研究は実務者にとってかなり苦労する。地域活性学会の実務論文研究には先行研究レビューはない。そのかわり背景や取組みの経緯を書いてほしいと話した。
西川洋行氏(理事)
仮に実務家がこの形式知への変換に貢献したなら、学術的基礎理論と実務的応用理論が統合され地域活性学会が目指している「地域活性学」の体系化が可能となる
第3回講義を担当した那須清吾氏(高知工科大学教授)は、学問は自然現象や社会現象からその成り立ちを説明出来る理論を学んだ結果である。過去から営々と積上げてきた研究成果の集大成であり、だれもが納得できる基礎的理論を提供してくれる。大学の職業研究者の多くはこの基礎理論から新たな発展理論を展開すること、既存理論に対する疑問から新規の理論を創造することに長けている。起業した経験から分かったことは、事業創造を成功させる上でこれらの基礎理論を使うことは非常に重要である一方で、実際に成功に導いてくれたのはその過程で得た経験知だということである。この実務家の経験知を可能な限り伝達可能な形式知へと変換することとは、基礎理論を実務に応用すること、より詳細な理論を追加すること、実務から新たな理論を発見することで可能となる。仮に実務家がこの形式知への変換に貢献したなら、学術的基礎理論と実務的応用理論が統合され地域活性学会が目指している「地域活性学」の体系化が可能となる。「地域活性学」は、それを学んだ実務家が実際に起業や事業創造などを実践する方法を自ら考え創造できることを目指していると実務家の立ち位置を力説した。
那須清吾氏(副会長)
みなさまのおかげです
地域活性学会の試みは始まったばかりである。まさに地域活性学会自体が、地域活性化のさなかにある。おそらくは、これこそが、日本が必要としている組織のイノベーションであり、組織の決断である。私は、地域活性学会の新たな活動を通して、更なるJK人材育成を広げてゆくことに微力ではあるものの協力してゆきたい。
Writer:地域活性学会理事広報交流委員長 斉藤俊幸