岐阜大学社会システム経営学環 准教授 柴田仁夫
岐阜大学社会システム経営学環の柴田仁夫(しばた きみお)と申します。2021年に岐阜大学に新設された社会システム経営学環に所属し、主にマーケティング論と経営戦略論を担当しています。現在の職場は8つめで、大学卒業後は学参系出版社、金融系出版社、資格系出版社で企画・編集業務を担当、その後ベンチャー企業、IT企業で人材マネジメント、横浜市中小企業支援センターで中小企業診断士として,経営支援課にて経営相談,創業相談,CSR(横浜型地域貢献企業認定制度)導入支援等,技術支援課にて医工連携を担当し、その後ご縁があって埼玉県川口市の私立大学で大学教員となりました。
40代で働きながらMBA、修士・博士課程を修了
もともとは本が好きで出版社に勤務していましたが、出版社は印刷会社に高圧的な態度を取ることが多く、どうすれば両社の関係が良くなるかを考えた末、中小企業診断士を志したのが30代半ば。なかなか2次試験を突破できず、40歳の時に法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科の中小企業診断士コースに進学。同コースの一期生となり、当時慶應義塾大学から法政大学に移られたばかりの嶋口充輝先生に「考えるとは何か、研究とは何か」をご指導いただきました。また岡本義行先生の講義では地域経済活性化の重要性を学び、ゲスト講師として講演頂いた地域活性学会初代会長である清成忠男先生のお話に甚く感激したことは昨日のことのように覚えています。修了後は横浜市中小企業支援センターに就職したものの中小企業支援の現場で必須であるマーケティング経験が乏しかったため、働きながら埼玉大学大学院経済科学研究科の修士課程、博士課程に進学し、無事5年間で博士(経済学)の学位を取得することができました。
法政大学大学院時代の恩師、嶋口充輝先生(慶應義塾大学名誉教授)と(2008年2月)
埼玉大学大学院時代の恩師、薄井和夫先生(埼玉大学名誉教授)と(2014年3月)
評価いただいた修士論文、博士論文
仕事をしながらの学究生活はかなり大変でした。修士論文の提出寸前に母が脳梗塞で倒れ、そのお見舞いに毎週実家を訪問していた矢先の3月に東日本大震災が起こるなど、自身の周囲の環境が激変する中での博士課程への進学でした。中小企業支援という仕事の関係上、2011年はただただ忙しかったのを覚えていますが、ご指導いただいた薄井和夫先生のお陰で修士論文は同研究科2人目の十数年振りの優秀論文賞に、また博士論文をまとめた単著『実践の場における経営理念の浸透』は日本マネジメント学会の、こちらも十数年ぶり2人目の山城賞(学会賞)を受賞するなど、どこまでテーマを突き詰めて深堀りすればいいのかを考える、いい期間でもありました。
2011年1月母の入院、3月東日本大震災と修士課程の修了、4月博士課程への入学 7月日本女子W杯優勝!
地域活性学会との出会い
この支援機関時代の2008年に地域活性学会という学会が立ち上がるという話をどこかで耳にし、実は第1回大会から本学会には参加しています。学会発表を初めてしたのもこの学会でした。当初学会名にもある「地域」に「横浜」は該当するのか、当時は随分悩んだりしましたが、横浜は大都市である一方で東京のベットタウンでもあるという「地方」の側面も持っています。そしてそれ故、人口の割に法人税収が少ないという他の主要都市とは異なる地方都市に似た課題を抱えており、その課題はそこでそれに向き合う人にしか分からないというのでは意味がなく、都市で何が起こっているのかを発信することに意味があるのではないか、そう考えるようになりました。結果として研究誌「地域活性研究」のNo.3、No.4、No.6、No.7、No.9で横浜という地域が抱える様々な課題をテーマに論文を掲載していただくことができました。
初めて学会発表した地域活性学会第2回研究大会@小樽商科大学(2010年7月)
大学教員として
こうした経験を活かし、私を育ててくれた横浜の大学である横浜市立大学では、実は2015年から2023年現在まで、ずっと非常勤講師として様々な講義を担当させていただいています。「横浜と産業」「キャンパス起業体験実習」「事業創造論」「地域活性化論」「CSR実践論」「中小企業論」など、科目名が変更になった講義もありますが、担当させていただいた当時からずっと変わっていない講義もあります。現在は地方の岐阜大学と都市部の横浜市立大学他計3校で教鞭をとっていますが、だからこそ、都市と地方の違いがよりはっきりとわかるようになりました。調査程度の日数ではなく、やはりそこで生活しないと分からないことが多いことを改めて実感しています。最初の恩師の嶋口先生から、「50歳までの勉強は自分のために、それ以降は社会のために学んだことを活かしていきなさい」という教えをいただき、今自分が感じていることを未来を担う若者にどう伝えていくのか。自分のできることを最後までやり続けていきたいと思っています。
初めて学生を連れて地域の企業を訪問@日本電鍍工業(2016年2月)