下唐川地区が発行する下唐川通信「絆」を配信します
石川県穴水町下唐川地区は能登半島地震で大きな被害を受け孤立します。しかし、集落内にあった土木用大型重機2台を見つけ住民自らが破壊された道路から瓦礫を取り除く作業をはじめ、孤立を解消しました。その後、仮設住宅の設置が迅速に進みました。倒壊した住宅の整理も進みました。無償居住⇒有償居住⇒住居購入し永続的に住めるという段階を想定した「石川方式」の仮設住宅も県内で一番先に建設できました。まさに被災集落の復興のモデルとなっているのが下唐川地区です。11月末までに県内の仮設住宅の整備が終わる中、下唐川地区では孤立を防ぐために住民向けの新聞の発行も始まっています。これらの活動が迅速に進んだのは数人のリーダーがいたからです。この地域からの情報を学会員のみなさまにお伝えすることは能登半島地震の復興の状況を把握するために有意義と考えます。下唐川区長(加代さん、67歳)は学生の応援を求めています。学生を集めるのは大学に所属する教員が多く存在する地域活性学会の役目のひとつではないでしょうか。まずは地域の情報を下唐川通信「絆」で理解して、この地域を起点に被災地支援に入れないかと考えています。加代区長の配信許可を得ましたのでJKサイトで継続的に配信させていただきます。加代区長からは『団地の自治会ができたのが5月28日、そして通信No1を発行したのが6月1日です。これまでよく発行したなと自分でも思っています。でもそれは、たくさんのボランティアの方の活動や地区の活動があってその情報を伝えるために書いたもので、たくさんの方の思いがつながって発行することができたものです。これからも続けていきたいと思いますので、宜しくお願い致します』とのメッセージをいただいております。まずは60号、61号から(斉藤俊幸)。
下唐川復興対策委員会(60号、2024年11月1日発行)
自分たちの地区のことをたくさんの人の意見を聞いて考えていきましょう
10月27日(日)第1回下唐川復興対策委員会を開催しました。地区役員5名と復興対策委員4名,そして,金沢大学藤井准教授,岩手大荒木准教授,東京都立大益邑助教,金沢大ゼミ学生伊藤さんにオブザーバーに入って頂きました。復興対策委員会設置の主旨と検討課題を確認し,今後の下唐川の復興について話し合いました。たくさんの意見が出されたのですが,そのいくつかを紹介します。
・今後どれだけの世帯が残るのか,再調査をして把握する必要がある。(学生の伊藤さんに依頼)
・国道から県道に入った所の崖崩れの対策を行政に働きかけ,安心して生活できるようにする。 ・地区内の道路を広げる。または,町道をメインの道路にしてはどうか。 ・今いる人たちがどう生活していくかということを大切にして,復興を考える。その過程で,移住者が来ることもあるし,活動の中で交流人口や関係人口が増えることもあるのではないか。 ・イベントを開催するにしても人の手が必要である。これまで,たくさんの大学生やボランティアの方を受け入れて来たので,その人たちと連携して,「磐持ち大会」等を復活できるのではないか。 ・ペットと遊べる集落というのもおもしろい。圃場整備が進む中,田や畑,川を整備してちゃんとした自然にして人に来てもらうのもいい。 ・空いている畑などを町の人たちに貸し出して,下唐川に来てもらうのもおもしろい。 ・避難所として,集会所の備蓄などさらに充実させる必要がある。また,八坂神社を一時避難所として改修して欲しい。(すでに行政に要望してある。) ・祭りではなくても地区のみんなが集まって飲み会を1年に1回はできると親睦が深まるのではないか。 ・もともと下唐川に住んでいた人の墓の修復も補助金の対象にして欲しい。 |
色々な話が出る中,最後にこの地区で大切にしてきたことや今後大切にしたいことを大学の先生方にお話をして,復興案を提案していただく事を確認して,2時間ほどの会議を終えました。今回,オブザーバーとして入って頂いた大学の先生方から他の災害地域の復興事例等を聞くことができ,有意義な会になりました。ご参加ありがとうございました。 (文責:加代 等)
みんなの笑顔を大切にして(61号、2024年11月4日発行)
様々な取り組みの中で,人と人とのつながりと笑顔が生まれますね!
★ 穴水小学校にお米を届けに
片岡さんのお世話で収穫したお米を穴水小学校の5年生に届けに行ってきました。(10月25日)贈呈式を終えた後,「磐持ち大会」に参加したことがある子を中心に,みんなで30㎏の袋を持ちあげて喜んでいました。みんな本当にいい笑顔を見せてくれました。
こんな笑顔を見ていると,来年は,何とか「磐持ち大会」を開催したいなと思いました。
★長野県須坂市社会福祉協議会「チーム・ながでん」のみなさんが仮眠を
輪島市の災害ボランティアに参加する「チーム・ながでん」のみなさんに集会所で仮眠をとって頂きました。29日の夜に長野を出発し,集会所に着いたのが夜中の2時半。それから仮眠をとって朝7時過ぎに輪島に向かって出発しました。帰られた後,小黒板に右のようなメッセージがありました。能登半島の復興のために,ハードスケジュールで活動してくださり,本当に頭の下がる思いです。そして,小黒板に書いてくださったメッセージを見て,少しでもお役に立てたなと私たちも笑顔になりました。これまで,たくさんのボランティアの方に来て頂きました。ボランティアの方や地区の方々の笑顔がたくさんあったから続けてこられたのだと思います。今後もみなさんのご理解とご協力を宜しくお願いします。 (文責:加代 等)