こんにちは。広報交流委員の今村智子です。今年度から金沢星稜大学で准教授として働いています。今日は、能登半島地震後、8ヶ月が経過した現状を報告します。地域活性を専門とする私たちにできることを考えて頂ければと思います。
美しい自然と悲惨な人工物
7月17日から対面通行が可能となった「のと里山海道」を通り車で行ってきました。道は、通ることができる状態の復旧レベルで、アップダウンや迂回、路肩崩壊があり、スノータイヤの装着をおすすめします。8月8日に能登半島をくまなく回りましたが、自然は美しい一方、人工物は悲惨な状態でした。
のと里山空港では施設が破損したまま
見附島の特徴的だった垂直にきりだつ岩肌が崩壊
珠洲市の見附島は、特徴的だった垂直にきりだつ岩肌がくずれました。海岸に下りるための階段は破損、休憩所も壊れて営業していません。
世界農業遺産の千枚田は修復途中
輪島市の千枚田は、世界農業遺産に認定され、畦のライトアップ景観でも有名。急傾斜地に小さな棚田が1004枚あり日本の農業の心を表す地。今年は120枚で田植えが行われました。地震で棚田にひび割れが入り、修復が終わった田には水がはってありますが、まだまだ修復できていない田が多くある状態です。
海に張り出した岩にぽっかりと穴があいており、そこから夕陽を眺める有名な観光スポット。しかし、岩が崩壊し穴がなくなり、海岸が隆起し風景が一変。岩の白い部分は海中にあった部分です。
旧角海家住宅は全壊
北前船で富を築いた船主の家が集まる重伝建。その中でも大きかった旧角海家住宅は全壊。その他の建築物にも破損は見られました。地区に、「解体は最後の最後」と書かれた横断幕が張られ、案内板にも「復興できる」という内容のメッセージが張られており、復興へ向けた地域住民の強い意思が感じられました。
重要文化財が全壊 人手がまわらず
源平の戦いで敗れた平家を祖とし、繁栄をつづけた上時国家の屋敷。国指定の重要文化財で、築180年、近世木造建築の民家では最大規模。全壊しているが、バリケードなどもされておらず、人の手が回っていないことが伺えます。
珠洲市と輪島市で被害が大きい
特に珠洲市と輪島市では被害が大きく、全壊、放置されたままの民家を多く見かけました。
珠洲市の見附島近辺では、地震と津波両方の被害を受けていました。手つかずの状態で、ほとんどが1月1日の状態のままでした。道の真ん中には、約2m隆起したマンホールが見えます。人はほとんど見られず、作業用重機も見られませんでした。
1階が奇跡的に残っていた民家を覗いてみると、1月のままのカレンダー、新しいしめ飾りがされた神棚がありました。カレンダーの後ろの壁の模様から津波の高さが想像できます。壁にはられた思い出の写真(赤ん坊を抱える女性、野球部の集合写真)を取りに来られていないようで気になりました。
輪島市の被災状況が深刻
輪島市は被災状況が深刻ですが、民家の復興が遅れているように感じました。
輪島朝市通りは火災が発生した被災地です。重機が入り、作業が進められていました。この近辺には人が住んでいるようで、道を歩く人や車が多く見られました。
輪島塗の五島屋ビルは倒壊のまま
隆起した海岸
土砂崩れによって数か所、通行不可能になっている国道249号。輪島市の千枚田近くでは、隆起した海岸を使いう回路が5月に開通しました。珠洲市側でも、隆起した海岸に道を作り工事車両が往来していました。
外部者の受け入れにはまだ時間が必要
道がつながり、やっと復興に向けて市民レベルの活動が始められる状態になったと感じました。しかし、商店や宿泊施設が開店できるほど復旧はしていませんから、外部者の受け入れにはまだ時間が必要です。市町によって作業の進み具合に違いを感じました。役場内部の問題でしょうか。今回の震災復興に限らず、地域活性に関することについてもですが、市町村から県や国へ申請書を出さなければ、事業が動かない行政の仕組みは、町の活性化や復興にブレーキをかけなければいいんだが、と未来を案じました。
(著者: 今村智子,写真は筆者が撮影したもの)