学び直しを繰り返し「会社人」から「社会人」になった

藤尾 宗太郎

私は2022年4月より、国立大学法人信州大学 学術研究・産学官連携推進機構 ユニバーシティ・エンゲージメント室で特任助教として働き始めました。現在の私の主務は「大学と社会を繋ぎ価値を生み出す」です。具体的には信州100年企業創出プログラム(首都圏・大企業で働く人材と長野県の地方中小企業をマッチングし、人材へリカレント学習の場を提供する)や信州リビング・ラボ(市民を中心とした「プロトタイプ(モノ・コト)を生み出す場」を運営する)などのプロジェクトを推進しています。ここで少しだけ、時間を遡り自己紹介をさせてください。

1984-1997 福岡で生まれた

私は1984年に福岡県で生まれました。生まれてすぐに東京の吉祥寺へ引越し。中学校へ上がる前に福岡へ戻りました。

1997-2001 グレた

13歳か14歳の頃。グレました。中学校は不登校。高校では「友達」が人生の第一優先事項でした。17歳頃に更生を開始。猛勉強をして地元の入れる大学へ入学しました。

2002-2014 MBA修得

大学を卒業後、メーカーへ就職。28歳の頃。東京で働きながら大学院へ通いMBA(経営学)を修得しました。

2015-2018 これでいいんだっけ?

勤めていた会社の親会社で働くことになり、長野県へ引越し。粛々と仕事をする毎日。ある時にふと自分の人生に疑問を感じました。「これでいいんだっけ?」人生を振り返り、自分の価値観を図にしてみました。私は自分が最も大切にしている価値観は「自由」と「表現」だと気がつきました。価値観を大切にしながら生きられる人生を探していた所で出会ったのが「信州100年企業創出プログラム」。国立大学法人信州大学が主導する「首都圏・大企業で働く人材」と「長野県の中小企業」をマッチングする事業でした。当時、首都圏・海外企業への転職を考えていたのですが本プログラムを見て「これは面白そう!」と思い応募。その2か月後に約13年間勤めた会社を退職しました。

2018年-2020年 パラレルキャリア

新しく始めた働き方はパラレルキャリア。長野県の民間企業と信州大学で働き始めました。(プログラムの特性上、週に4日は企業で働き、週に1日は信州大学へ行く日々を半年間過ごしました。プログラム修了後、長野県の民間企業へ就職。精密板金の会社で新規事業を立ち上げて責任者になりました。金属3Dプリンターで造形したオブジェクトを国内外へ販売する仕事を推進しました。同時に、信州大学ではキャリア論の講義を行ったり、社会人向けにスキルアップ研修を行ったりしました。そんな中で新型コロナウイルスの流行。移動の制限を受ける中で自身の働き方について深く考えた結果、「外的要因に左右される生き方をしたくない」「会社のことだけを考えるのではなく社会へインパクトを与える活動がしたい」という想いが強くなりました。

2021年 信州大学特任助教を拝命

信州大学の特任助教を拝命。コロナの影響もあり、再び週4民間企業、週1国立大学で働く生活が始まりました。11月のある日、信州大学の仕事として地元福岡で「新規事業開発・推進」について、社会人学生向けに講義をする機会に恵まれました。私の講義を真剣に聞いてくれる社会人たち。大学を卒業してから地元を離れた私にとって、初めて社会人として地元に貢献出来たことは至上の喜びでした。私はこの時に会社のことだけを考えて生きる「会社人」ではなく、社会に価値を与えられる「社会人」になろうと思いました。そしてその時点で私が最もそれを出来そうな場所、大学へ転職することを決めました。

2022年 「学び直し」を続けながら「社会人」として生きていく

冒頭にご紹介した通り、現在は信州大学で「大学と社会を繋ぎ価値を生む」仕事に従事しています。人生を振り返り思うことは、いつも「学び直し」が私の人生を変えてくれました。そして「会社人」から「社会人」へ変わるきっかけを与えてくれました。現時点での私の未来予想図は明瞭ではありません。ただ「社会へインパクトを与える」を軸に「学び直し」を続けながら「社会人」として生きていく所存です。