【特別寄稿】安倍内閣と地方創生

関幸子

地域活性学会副会長の関幸子です。安倍晋三元総理大臣が奈良で銃弾で倒れ、今、日本国だけでなく世界中で卓越したリーダーを失った悲しみと喪失感に満ちています。心にぽっかりと穴が開いたような状況ですが、私は、2012年に安倍内閣が発足してから、地方創生に関する分野で、内閣府などの政府委員を任命されたこともあり、ここで、安倍総理の思い出とともに安倍内閣と地方創生について、書かせていただきたいと思います。地方創生への取組は、斉藤俊幸理事と共に働いてきました。内容はあくまで関個人の感想と経験した内容から、安倍首相の功績を考えたもので、行政手続きとしては正確でないことをご理解いただければと思います。

安部首相はスマートでかっこいい政治家だった

私が、安倍元総理と最初にお会いしたのは、2003年首相官邸で小泉純一郎総理大臣が主催した「地域産業おこしに燃える人の会」でした。当時、安倍氏は内閣官副長房官で40代。本当に若くて、スマートでかっこいい政治家という印象でした。地域の産業振興の成功事例には、企業誘致や創業支援、既存の地域産業の活性化等の類型があり、成功の背後に、現場で中心となって活動する人物の存在があることが多い。各地域で活躍する人々を選定し、その努力や経験を広く周知するとともに、これらの人々の間のネットワーク作りを支援することによって、後に続く人々の意欲を高め、地域発の産業振興を活性化することとするという趣旨のもと、一橋大学教授(当時)の関満博教授を委員長とする選定委員会が、産業振興の現場にいる公務員や民間人、32人を選定しました。現在の首相官邸の大広間の最初のイベントとして、小泉純一郎総理大臣、福田康夫内閣官房長官、安倍晋三内閣官房副長官の3人が揃って32人の現場の声に耳を傾けてくれました。

前列右から4人目が安倍晋三内閣官房副長官(2003年首相官邸)

地域産業おこしに燃える人から地域活性化伝道師の制度化につながる

私はこの当時、三鷹市役所の職員で、中心市街地活性化法に基づくTMO「株式会社まちづくり三鷹」に派遣されており、日本初のインキュベーション施設となる「三鷹産業プラザ」の設計、建設、運営を任され、燃える人に選定されました。この燃える人の選定が画期的だったのは、市長や県知事等のTOPを評価するのではなく、現場にいる担当者に焦点をあてて、その成功要因を分析し、評価し全国ネットワークを形成しようとするする試みだったことで、これがのちに地域活性化伝道師の制度化へとつながっていきます。首相官邸に一職員が招かれること自体が奇跡的なことでした。

地域の現場での人材育成の重要性を認識

2009年、麻生太郎総理大臣が取り組んだのは、地域経営懇談会と地域経営の達人制度です。これは、総務省の椎川忍地域力創造審議官(現地域活性化センター理事長)が仕掛けたもので、末吉内閣官房参与、増田寛也元総務大臣、麻生総理大臣が出席して、「地域の現場で地域経営を担う市町村長や地域の経営に関する豊富な知識と経験を有する民間経営者、学識経験者と意見交換する場を設定し、地域の経営力を高める方策等について検討し、内閣総理大臣への進言の参考とする」ための会議でした。この懇談会の下に、「地域経営の達人」メンバーを参集させ、地方自治体をコスト意識、スピード意識、サービス精神等経営感覚をもって地域をマネジメントする総合行政主体へと変革させるように地域経営塾として2018年まで開催されてきました。現場での人材育成の重要性は、この段階で政府も認識していたことになります。2009年の地域経営懇談会に、私はNPO法人地域産業おこしに燃える人事務局長としして参加したのですが、ここであるハプニングが発生。懇談会は2時間が予定され、最初に20人の参加者が1分ずつ自己紹介して、その後に意見交換というシナリオでしたが。ところが参加者の多くが自治体の首長ということもあり、自己紹介が1分では収まらず、結局2時間すべてが自己紹介だけで終わったという、前代未聞の懇談会となりました。氏名順で座っており、最後の富山市の森雅志市長に行き着くまでに2時間余り。森市長は怒り心頭でしたが、1分間で簡潔に自己紹介した姿が今でも思い出されます。

地域活性化プラットフォーム事業は地方創生事業の土台となった

2014年3月には、地方創生の前身となる地域活性化プラットフォーム事業が開始されました。この事業は、「地域活性化の推進に関する関係閣僚等会合」に基づき、地域が直面している「超高齢化・人口減少社会における持続可能な都市・地域の形成」及び「地域産業の成長・雇用の維持創出」の2つの施策テーマについての成功事例(モデルケース)の創出に取り組むものです。全国から、人口減少と地域産業の成長という2テーマに絞り、各自治体からの提案を募集し、5年間の支援していく仕組みでした。私は、現場視点からの事業を評価メンバーとして、この地域活性化プラットフォームワーキング委員として参加し、書類審査、ヒアリング審査、その後の5年間のモニタリング評価に携わってきました。この審査過程や審査基準が、のちの地方創生交付金の応募内容や評価基準の土台となっています。この時のヒアリング時の熱気は、地方創生の選定委員会よりも白熱していたことを今でも思いだします。知事や市長がおそろいの法被を着て、地域資源をアピーする、移住した女性が海女さんの格好で、現場の課題解決する提案を行うなど、自治体のパフォーマンスを披露した事業となりました。この時の座長が村上周三一般社団法人建築環境・省エネルギー機構理事長で、2017年から始まるSDGs未来都市形成向けた委員会の座長にも就任されています。この時のご縁で私も自治体SDGs推進評価・調査検討会のメンバーに参加しています。

若者が将来に夢や希望を持てる地方の創生に向けて力強いスタートを切ると力説

2014年5月、日本創生会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也元総務相)が公表した「地方消滅」報告書のなかで、人口減少予測を基に消滅可能性のある自治体をリストアップしたことで大きな反響を呼んだことを記憶されている方も多いことでしょう。この報告書が大きなインパクトをもたらし、安倍内閣は「地方創生」を新たなキーワードに、中長期的な観点から総合的な地域対策の検討に着手。安倍首相は2014年9月29日、臨時国会開会の冒頭、この国会を「地方創生国会」と位置づけ、地方が直面する人口減少や超高齢化など構造的な課題に危機感を表明し、「若者が将来に夢や希望を持てる地方の創生に向けて、力強いスタートを切る」と力説しました。安倍内閣はそのための体制づくりとして、石破茂氏を新設ポストの地方創生担当相に任命し、内閣府に地方政策を担う「まち・ひと・しごと創生本部」を創設し、各省の出向者を含め約70人を配置。初代まち・ひと・しごと創生本部総括官には、厚生労働省の山崎史郎氏が着任しました。2014年11月25日にはまち・ひと・しごと創生法が公布され、20条からなる体系のなかで、基本理念、国等の責務、まち・ひと・しごと創生総合戦略の作成等が定められ、地方創生に向けた組織と法体系が揃いました。同時に、2014年度補正で現在の地方創生推進交付金の原型となる地方創生先行型交付金1400億円、上乗せ交付金300億円を確保。2015年までは10分の10支援、複数年度支援という画期的な予算。加えて、地域経済分析システム(RESAS:リーサス)を立ち上げ、統計を一括管理、人材不足の地方にはシティマネジャーの派遣等、総合的、統合的な支援策を確立しました。2015年1月4日に、山崎史郎総括官より、斉藤理事とともにお声がかかり、「組織と法律と予算は整ったが、地方創生の本番はこれから。現場での経験から得た知見をぜひ貸してほしい」というご依頼を頂いたのが昨日の事のように思い出されます。斉藤理事とともに、引き締まる思いで「できるだけのことをやろう」と誓い合いました。山崎氏は、2009年に私が舘逸志内閣府審議官の支援を受けて「企業再生支援機構担当室」の政策企画官(非常勤)として勤めていた時の上司だったご縁で、親交を重ねてきました。丁度私も2011年の東日本大震災の支援で東北から戻ったこともあり、2015年から本格的に、地方創生へと舵を切ることになります。

山崎史郎初代総括官退任(ミスター介護保険、ミスター地方創生)

斉藤俊幸理事と内閣官房まちひとしごと創生本部を訪問

安倍内閣が創設した地方創生の枠組みは地方自治を根幹から変革した

2015年に入ると、地方自治体は国の総合戦略を基に、自らの人口ビジョンと総合戦略を作成することに着手し、それが出来あがった地域から地方創生交付金という具体的な予算獲得に向けて動き出しました。地方創生は、「まち・ひと・しごと創生法」とともに、「地域再生法」の2つを上手に使いこなす必要があります。地方創生推進交付金利用するには、地域再生計画を作成し、内閣総理大臣の認定を受けることで、初めて実施できる仕組みになっているからです。現在、安倍内閣が創設した「地方創生」の枠組みは、地方自治を根幹から変革しました。これまでの国主導のバラマキ・横並び政策から、地方の自主性を尊重し支援する制度としたことで、やる気や知恵のある自治体は、継続的で安定した予算を獲得し実践できるようになりました。現在地方創生は、現在第2期目を迎え、様々な雇用を生み出すととともに新たな地域リーダーを発掘し、各地で大きな花を咲かせるまでになっています。地域活性学会の皆様も、地域の現場にいて、その躍動を肌で感じていることと思います。地方創生の制度と予算は、従来の前例主義・行き過ぎた公平性から脱却して、地方主権による政策をもとに実践するという、新たな地方自治の姿へと移行させています。民間企業や大学との連携も進み、地域活性化という命題に果敢に挑戦できる手段となりました。安倍内閣が地方創生に舵を切ったことは、2000年以降の最大の変革となり、現在の岸田内閣においても踏襲されています。この事業だけでも安倍内閣は、もっと評価されてよいと感じます。

毎日フォーラム誌地方創生特集の巻頭文を寄稿

安倍晋三元総理大臣への哀悼の意

安倍元総理大臣と最後にお会いしたのが、2019年5月、総理大臣官邸で第1回ふるさと活性化支援チーム会議に出席した時です、本学会の前理事でもある藤井裕也君(特定非営利活動法人山村エンタープライズ代表)もご一緒しました。安倍内閣が、2015年から「地方創生」に着手してからは、いくつかの政府委員をお引き受けしたこともあり、安倍元総理とは会議でお会いしてきました。情熱的で、ウィットに富み、参加者を巻き込み、やる気にさせるのが上手で、人間的に魅力的なリーダーだったと思います。ご一緒に仕事をさせていただくという貴重な機会に心より感謝申し上げます。安倍内閣では多くの成果がありますが、特に「地方創生」は、日本の地方自治を根底から変える成果をもたらしました。今後歴史の中で日本の社会制度の大きな転換期を担った内閣であったと評価されていくでしょう。これは日本人が感じているよりも海外諸国が、尊敬し信頼たるリーダーであったと明確に評価していることでも明らかです。社会制度変革には、リーダー、長期内閣、時の運という3要素が必要と考えていますが、安倍元総理がなくなったことで、リーダーとともに、時の運も一緒に失ったのではないかと心配しています。漂う日本にしないためにも、本学会が中心となり、持続可能な地域づくりを進めてまいりたいと思います。

最後に安倍晋三元総理大臣に哀悼の意を捧げ心からお悔やみを申し上げます。 合掌

Writer:関幸子