【特別寄稿】人間性の進化的起源 – なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか(出版)

豊川航(コンスタンツ大学心理学部(ドイツ)。博士号取得後、学術振興会特別研究員(セント・アンドリュース大学・総合研究大学院大学)を経て現職)

日本育ちの私が感じた、ヨーロッパ暮らしの最も新鮮な驚きは、陸続きの国境でした。しかもシェンゲン協定内では人々の往来も自由ですから、少々大げさな県境のようなものにしか見えません。しかし、その「県境」を一歩跨げば、そこには、言葉も違えば、建物の雰囲気も違うし、レストランのメニューも、スーパーで売っているものも違う、外国があります。外国だから当然、文化が全然違う。たとえば、私が暮らす南ドイツのコンスタンツという街はスイスのクロイツリンゲン町と接しており、街の中に歩いて渡れる国境があります。つまり、人々の生活圏はほぼ連続していて、一つの「かたまり」をなしています(実際、上空から見れば一つの街なので、第二次世界大戦下のコンスタンツは「スイス」に化け、空襲を逃れました)。にもかかわらず、国境のこちら側とあちら側では、人々の暮らしや文化は異なります。

ドイツ最大のボーデン湖からライン川をまたぐコンスタンツ。遠方にはスイスとオーストリアのアルプスが見渡せます。

コンスタンツとクロイツリンゲンを隔てる「国境」。「ここからはスイス」と告げる看板が立っているだけ。

島国育ちの私は、国が違えば文化が違うのは当たり前だと思っていました。しかし、大陸ヨーロッパにおいては、なぜ国や地域で異なる文化が維持されるのか、それは全く自明ではない。むしろ、とても不思議に感じられます。人々が行き交い、混ざり合って暮らしているのに、なぜ文化は一つにまとまってしまわないのでしょうか。これは外国の話に限らず、日本国内でも、地域ごとに様々に異なった風習や言葉、伝統芸能や伝統工芸、特産品やご当地グルメがありますね。ようするに、文化やカルチャーの地域差は、私たちの身の回りの、至るところで経験することができる、いわば「人間文化に広く見られる性質」の一つだと考えられるのです。

私がこのたび翻訳しました『人間性の進化的起源 – なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか』(ケヴィン・レイランド著、勁草書房)は、そんな人間の特徴である「文化」を、動物行動学、あるいはより広く生物学という切り口から理解することを試みてきたこれまでの科学研究の蓄積をまとめた本です。なぜ生物学?と思われるかもしれません。たしかに文化といえば、普通は、人文学や社会科学の範疇でしょう。ですが、「文化とは何か」「文化はなぜ、どのように変化するのか」という問を突き詰めて考えると、「いつからヒトは文化を持つようになったのか」「ヒト以外の動物にも文化はあるのか」という問題を無視できないことに気付きます。

レイランド著・豊川航訳、勁草書房、2023年

人間性の進化的起源 – なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのかhttps://www.keisoshobo.co.jp/book/b618722.html

 

たしかに、ジャコモ・プッチーニの『蝶々夫人』を観てうっとりするのは人間だけでしょう。しかし、「文化」は、複雑なオペラに限られるものではありません。ちょっとした方言の違いだって、れっきとした文化の違いとみなすことができます。では、文化ってそもそもなんなのでしょうか。文化と呼べる多種多様なものごとに共通する項を取り出すとすれば、それは「他者から学ぶこと」です。どのような文化的活動も、誰かが、他の誰かから、直接、あるいは間接的に、遺伝子(DNA)によらず継承したものに違いありません。私が話す仙台弁は(だいぶ薄まっている気がしますが)、私の母や友人から受け継いだものですし、母の仙台弁も、祖父母や地域社会から受け継いだものです。受け継がれたのは血がつながっているからではなく、一緒に暮らすなかで、他人を「猿まね」したから。文化が広まるのは、誰かが誰かをまねするからなのです。逆に、誰かをまねして広がるものが、文化なのです。

オーストリア・ブレゲンツの湖上劇場で催された『蝶々夫人』。米国と日本を題材にしたイタリアのオペラに、ドイツ語圏の客が押し寄せていました。

そうやって考えると、人間以外に文化があっても不思議ではなくなります。たとえば、酒好きで猿(猩猩)に似た顔立ちの「ショウジョウバエ」というハエは、たいへん鬱陶しい動物ですが、なんと最近の研究で、「猿まね」までこなせることが判明しました。他のメスが桃色のオスを好んで交尾していることを見せつけられると、見ていたメスまで桃色のオスを好むようになるのです。すると、「桃色が魅力的」という好みが、ハエ社会のなかに脈々と継承されます。ハエの文化です。

動物にも文化があるなら、ではなぜ、「複雑な」文化を創造できたのは人間だけなのでしょうか。この疑問こそ、本当に問うべき問題だったのです。たくさんの動物に文化はあるのに、ウイスキーを飲み、歌い踊り、政治や経済について語り合えるのは人間だけです。本書の後半は、いよいよ最先端の科学研究の成果を総動員しながら、その問題の本質に切り込んでいます。

本書は、地域活性という目標へなにか直接的に役に立つような本ではありません。しかしながら、たがいに異なる文化を抱く地域社会がなぜ共存しえるのか、その生物学的原理を、ほんのちょっぴり解き明かしてくれます。動物の文化を理解することで、かえって人間のもつ文化的多様性の素晴らしさが浮かび上がってくるのです。

私が2019年まで在籍したセントアンドリュースのパブにて。これはちょうど私の送別会で、研究室の面々が、スコットランドの伝統酒器クエイク(quaich)を贈ってくれました。カウンターで笑みを浮かべる紳士が、本の著者であるレイランド教授。

豊川航(とよかわ わたる)博士(文学)、コンスタンツ大学心理学部(ドイツ)。博士号取得後、学術振興会特別研究員(セント・アンドリュース大学・総合研究大学院大学)を経て現職。専門は行動生態学や社会心理学、専門は人間や動物の社会的学習と集団意思決定。分担執筆に『「社会の決まり」はどのように決まるか – フロンティア実験社会科学』(勁草書房、2015年)。

Writer:豊川航