【特別寄稿】人が社会を創り出す力(社会力)について

利根沼田夢大学2024年度開講式 大宮登元会長配布資料

利根沼田夢大学では、小・中・高・大学生が中心になって、大人が加わり、みんなで学びを深めています。斉藤さんに講演をやっていただきましたので、私の方から2001年に東和レポートに寄稿した文章を参加者に配布しました。2004年に私が代表顧問としてゼミ生たちとNPO法人DNAを設立して、若者社会活動支援を開始した原点のようなものです。短いですので、読んでみてください。

コミュニケーション能力への関心

最近、人事部のフィールドワークを行っていると、共通してコミュニケーション能力についての話がでてくる。人事担当者が新入社員に最も期待しているものは、社内外の人間関係を創る基礎ともいえる「コミュニケートする力」なのだが、このコミュニケーション能力が年々弱くなっているのではないかという。また、現在私のゼミの4年生は就職活動真っ盛りという状態であるが、彼らの話を通しても企業の採用担当者がコミュニケーション能力をとても重要視して採用試験を実施していることがよく分かる。

3・4年前は「自己管理・自己責任」「自由と自己責任」などが、人事の最も強調する言葉であったのが、2年前頃から急にコミュニケーション能力が強調され出した感がある。どうして人事担当者がコミュニケーション能力に関心を持ち出したのであろうか。ヒアリングの中で根ほり葉ほり聞き出すと、人的資源活用の仕事を担当している人事部の皆さんの大きなため息が漏れ聞こえてくるような気がする。

ため息の原因は、最近の新人が双方的な対話(やりとり)があまり得意ではなく、社内の同僚や上司とだけでなく、顧客ともトラブルを起こすケースが増えているかららしい。例えば、自分の企画が計画通りに事が運んで、思い通りに進んでいるうちは調子よく話ができているのだが、相手方がこちらの案に難色を示したり、別の条件を出されたりして調整・葛藤状態に陥ると、それ以上の交渉ができなくなってしまうことが起きるという。しかも、同僚や上司に調整や指示を求めたり相談したりするのでもなく、一人で抱きかかえたままの状態で放っておくケースもよくあるのだという。相手の顧客から「あの件はどのようになりましたか」などという確認や苦情の電話が入って、はじめて事の真相が明らかになってしまう。

仕事はあくまでも相手とのキャッチボール(やりとり・交渉)の結果、進むものである。思い通り運ぶときもあるが、予期せぬ事が起きることも多い。その度ごとに周囲の人に相談もしないで、自分の中にため込んで握りつぶしてしまっていてはどうにもならない。いや握りつぶせないからこそ問題なのだ。こうした基本中の基本ともいえることが、なかなか理解できない新人が増えているという。人事担当者、新人研修担当者の嘆きは深い。

子どもの社会力

企業社会におけるこうした悩みは、私たちの社会全体に共通する悩みでもある。現代社会の構造が生み出した問題が、企業活動に現れるのか、家族問題として現れるのか、教育問題として現れるのかの違いだけである。コミュニケーション能力の欠如は、今日的な社会構造がもたらす社会的な課題なのである。「いじめ」「学級崩壊」「児童虐待」「キレル子たち」「不登校」「引きこもり」等の子どもたちをめぐる深刻な状況の根本原因は、双方向的なコミュニケーション能力が弱い企業の新人たちを生み出す根本原因と同じなのである。

門脇厚司は「子どもの社会力」(岩波新書)で次のように言う。「今の子どもたちに見られる変化とは、煎じ詰めれば、他人への関心と愛着と信頼感をなくしていることであり、自分がふだん生活している世界がどんなところであるかを自分の体で実感できなくなっていることではないか」「今の子どもや若者たちに欠けているのは社会性ではなくて、“社会力”といったものではないか。社会に適応する力ではなくて、社会を作り変革していく力ではないか、と。とすれば、大人だって相当に社会力が欠けているのではないか。」

私たちの社会が、人と人とが相互に関わり、刺激しあい、豊かに成長していく社会的装置としての地域コミュニティを失ったとき、子どもたちの社会力は失われ、子どものコミュニケーション能力は開発されないまま放置され、現在の問題が生まれてきたのではないのかと門脇は分析する。「子どもの社会力は、生きることに対する前向きな姿勢があり、そこから発する強いコミュニティ意識があり、それに根差した大人たちの、地域づくりに連なるさまざまな活動があり、そのなかに子どもを取り込みつつ重ねられる大人と子どもの相互作用の過程で育てられ強化されていくのだと考えるべきである。」

少子高齢化はそのまま放っておけばますます、人と人とが出会う機会を少なくしている。集団の競い合いや集団遊びを通して身につけていく社会力の基礎、大人との豊かな交流を通じて磨かれていく社会力、そうしたものの大切さを私たちの個人化する社会は忘れてきたのではないだろうか。効率性を重んじるあまり、人にとってもっとも重要なゆったりと関わり合うことの大切さを忘れた結果、コミュニケーション能力や人間関係形成能力を獲得できないまま、自分も他者もなかなか信頼できずに悩む若者たちの現在があるのではないだろうか。

まちづくりは開放空間による人づくり

このことは、地方分権時代の今日的課題である「まちづくり」についても同じことがいえる。田村明は「まちづくりの実践」(岩波新書)で、ユーモアのいえる自由な人間関係が「まちづくり」成功の秘訣なのだと説明しながら、まちづくりにはマチの解放性が大切なのだと強調する。人と人とが自由に交流する場の創出こそがまちの基本であり、閉鎖性や孤立性は人を豊かに成長させる機会や活力を奪ってしまう。

「マチは、はじめから開放的な性質を持っている。マチを成立させた大きな要素は、昔から市(イチ)だったが、イチとは、多くの異なる人々と物、情報を集めて初めて成り立つものである。閉鎖していてはマチにならない。」「文明評論家のルイス・マンフォードは都市の本質は多様な人々を惹きつける磁力だと言った。マチは、異なる人と物と情報を繋ぎ合わせる人類の発明した素晴らしい装置だが、その中心は開かれたイチだった。」

まちづくりは人と人とが豊かに出会い、相互にぶつかり合い、助け合う相互交流の開放空間創出の活動であり、そうした交流を楽しもうという人づくり活動なのである。そうした賑わいの場や交流活動がなくなったところに、私たちの多くの問題が生まれてきたのではないだろうか。私たちは、人と人とが交流することの重要性を再確認し、人が社会を創り出す力(社会力)、コミュニケーションする能力、地域社会の人間形成力などについて今こそ真剣に考え直すときがきているのではないだろうか。

出典:TOWA経済レポート2001.5)